テリー そして例の東日本大震災があって、原発問題について発言をしていったわけですが。海外の俳優だったら、政治的な発言はわりと普通だよね。でも、日本の俳優さんはあまり政治色を出さない。
山本 社会的なことに声を上げるというのは、僕が生きていたエンターテインメントの世界では、御法度的なところがあったんですよ。それはやはり、スポンサーとの絡みがあるからです。社会問題というのは企業とつながっていることが多いんですよね。
テリー ほとんどがそうだよね。
山本 自分がどういう仕事がやりたいかといったら、まずは安定した収入が欲しい。この芸能界で「安定した収入」とは何だといったら、やっぱりコマーシャルなんです。1年契約で数千万円もらえるわけですから。
テリー スポンサーがついたら安泰でしょうね。
山本 ですから、社会的なことを発言するということは、その企業に対してのネガティブな部分を宣伝するということなんです。前から社会問題に対しては、まったく興味がなかったわけじゃないんですよ。でも、そういう「芸能界でのタブー」を肌で感じていましたから、どちらかというと「あまり声を上げないほうがいいだろう」という感覚でした。
テリー 普通の芸能人はみんなそうだよね。3.11以前はどんなことに対して疑問を感じてたの?
山本 一番は自然に対することです。30歳を過ぎてからサーフィンを始めて。自然の中のスポーツですから、環境破壊や海洋汚染、海の生物がどんどん減っている事実を知ったり。ただ、それを自分が表立って、スポークスマン的な役割をしたいかといったら、やりたくなかったわけです。
テリー 自分の収入と直結する問題だからね。
山本 はい。
テリー そこで原発の問題があらわになって、いよいよ行動に出ていったということですね。
山本 最初は、気をつけてやろうと思っていたんですよ。自分の中で言いたいことは言いたい。でもそれで仕事に支障が出たら、事務所にも迷惑がかかるし、母親を食わせなきゃいけないし。
テリー それこそ記者たちが見つけて「あれは山本太郎だ」となったわけ?
山本 というよりは、やっぱり正面を向いて伝えたくなったんですね。デモに参加していた初めの頃は、前方にマスコミがいて、カメラがこっちを向きそうな瞬間があると、顔を横に向けたりしていました。自分の生活を守らなきゃいけないから。
テリー だけど、我慢できなくなる時が来たと。
山本 来ましたね。原発事故があったのが3月で、4月後半になって、もう隠すことはやめて、逆に「表に立ってやろう」と思う出来事が出てくるんですよね。
テリー それはいったい、何だったんですか。
山本 文部科学省が、子どもたちに対する被曝の限度を引き上げるんです。事故がある前までは、この国で考えられていたのは年間1ミリ以下に抑えようという世界的な基準に沿ったものだったんですよ。それを20ミリまで引き上げると言ったんですね。「20倍に引き上げてもいい安全基準って、何なんだろう」と、非常に素朴に思ったんです。
テリー 11年4月中頃に出された発表ですね。
山本 例えば、チェルノブイリ事故で示された限度は年間5ミリです。その5ミリの4倍にして大丈夫だと。それも子どもたちに対してです。子どもは大人と比べて影響が強く出ます。
テリー そうだよね。肉体も強くないし、細胞分裂も早い。
山本 大人に比べ、子どもへの影響は3~10倍。その現実を目の当たりにした時に「これは子どもに対する緩やかな死刑宣告であり、この国の解散宣言なんだな」と。「子どもを守れ」というのは、いい格好とかじゃなく、単純に未来と直結してることです。そのことに対して不条理を押しつけたという段階で、怒りが頂点に達した。だったらこの20ミリの意味を伝えるために、自分がマスコミのいるところに行ってアクションを起こせば、関心を持ってくれる方がいらっしゃるかなと思って。
テリー それで、山本さんが表立って活動してることが話題になったと。
山本 結果、役者としてテレビの仕事はなくなりましたね。映画も、製作委員会という形でスポンサーを集めると、山本の名をプロデューサーが嫌がる。
テリー 今は国会議員だから、テレビには出られるんじゃないの?
山本 議員だから関係ないように思えるんですが、現場の自主規制みたいなものがかかります。僕の入り口は原発だったんですけど、原発を機に他の問題もやっぱり見えてくる。根底というのは同じだから。
テリー というと?
山本 企業を儲けやすくするための規制改革やルール変更ですね。TPPにしてもそうだし、集団的自衛権にしても、全て企業の利益とつながる。それらに対する批判を表に出していけば、テレビからはやはり排除されがちです。