「明日、何を撮影するかは監督にしかわからない」
北野映画では、色のついていない無名の俳優を起用することが多く見受けられる。いち素人から抜擢され、俳優として花開いた津田寛治は最たる例だ。北野監督のキャスティングに関する独特の感性は、撮影現場での斬新な進行方法にも反映されている。
「あんちゃん、久しぶり」
90年、役者を目指していた津田寛治は、都内の録音スタジオ内にある喫茶店でウエーターをやっていた。
経営者夫人から、この店に北野武監督が訪れると知らされる。津田にとって、北野監督は憧れだった。
「北野監督の『その男、凶暴につき』(89年、松竹富士)、『3‐4×10月』(90年、松竹)、この2本にグッときましたね。とにかく出ているのは、無名な俳優さんばかりだけど、今まで見たこともないリアルな演技をしていた。なぜ無名の俳優がこんなにもキラキラと輝くのか? 出られなくてもいい、どういうふうに作っているのか、現場だけでも見たい。そんな気持ちがすごくあったんです」
経営者夫人の言葉を聞いてから、津田はプロフィールを用意し、北野監督が来店するのをひたすら待った。
喫茶店は、スタジオの1階にあったが、隅っこのほうには黒いリュックを背負った、猫背で、コーヒー一杯だけで延々と居座る若者たちがよくいたという。
彼らは北野監督が1階に下りてくるのを見ると、ババーッと駆け寄った。
若者たちが「殿、弟子にしてください!」と滑り込んで、土下座状態で「たけし軍団」入りを志願する様子を何度か目撃するようになった津田だが、自身も北野監督に接触する瞬間を探っていたのだ。
ある日、「あの夏、いちばん静かな海。」(91年、東宝)の編集でスタジオを訪れた北野監督が喫茶店に現れた。
とはいえ、関係者に囲まれた監督にはなかなか近づけない。津田は、北野監督がトイレに立つ瞬間を狙っていた。
そして、ついに憧れの監督にこう話しかけたのである。
「ウエーターという立場上、どう考えても反則ですけど、こうするしかなかったんです。役者じゃなくてもいい、録音の助手の助手ぐらいでもいいので、現場に何とか入れませんでしょうか」北野監督は津田の顔を見ながら、「ハイ、ハイ」とうなずき、渡されたプロフィールを畳んで内ポケットに収めた。たったそれだけの接触なのに、津田は感極まったという。「僕はめまいがするぐらい感動しまして、これは北野組に入れなくてもいいや、この思い出を支えに俳優を目指していける、と思いましたね」
それから約1年が過ぎ、北野監督は「ソナチネ」(93年、松竹)を撮ることになる。
クランクインの前日、監督はスタッフを連れて喫茶店に姿を現すと、「お~あんちゃん、久しぶり。元気だった?」
と津田に声をかけてきた。
「覚えててくれたんですよ。編集の仕上げが終わったら、監督は次の作品が始まるまでは、編集スタジオに来ないんです。だから、あの日以来、1年ぶりだったんですけど、顔を覚えられていたから、北野組入りへの階段を1段上ったかな、と思いました」
ところが次の瞬間、経営者夫人が、津田を押しのけて、たけしに詰め寄った。「たけしさん、ひどいじゃないですか!
うちの子はこの1年、たけしさんがオーディションぐらい呼んでくれるんじゃないかって、ずっと待ってたんです。明日、クランクインなんてどうなってるんですか!」
えらい剣幕で、北野監督を叱りつけている。
「北野組入りの階段を1段上ったつもりが、ズルッと滑り落ちた心境でしたね」
北野監督はバツが悪そうに、スタッフが座るテーブルに戻って行った。
津田は全てが終わったと落胆し、厨房でひたすら皿を洗うしかなかった。
数分後、背を向けて座っていたたけしが突然振り返り、津田を席に呼んだという。そしてスタッフの前でいきなり、津田をこう紹介した。
「このあんちゃんが喫茶店でウエーターやってるんだよ。ウエーターなのにとんでもない格好して、パンクな髪型してんの。そこで俺が、『ウエーターならウエーターらしい格好して働け!』って怒ると、あんちゃんのアップで、『すみません』と謝る。このシーン増やすから」
まったくの素人を抜擢するという北野監督の行動に、周りのスタッフはしばらくアゼンとしていたという。しかしこれが、そののちに数々のドラマや映画に出演し、映画「模倣犯」でブルーリボン賞助演男優賞を受賞するなど、個性派俳優としての地位を確立した、役者・津田寛治誕生の瞬間だった。