テリー お子さんがいるといえば、安藤美姫さんも同じように引退したじゃないですか。安藤さんとは、お話ししたんですか。
織田 全日本選手権が終わってから、少しだけ話しましたね。彼女も今季限りで引退と決めていて「家族のために滑れたことを誇りに思ってる」って言っていたので、オリンピックには行けなかったんですけど、彼女にとってはよかったのかなと思いました。
テリー そうだよね。彼女は特に出産があったんで、練習期間が短かったと思うんだけど。
織田 僕もあの短期間であれだけ調子を戻せるのは、彼女の才能というか天才の所業だなと思います。最後のキス・アンド・クライ(競技終了後に、コーチと選手が結果を待つ小さいスペース)で、涙を流して、笑顔で手を振っているのを見て、この1シーズンの彼女の頑張りは決してムダではなかったなというふうに思いました。
テリー いつかお子さんが大人になって、あの姿をDVDで見たら、お母さんを誇りに思うよね。織田さんご自身は、いつ頃から引退を意識していたんですか。
織田 バンクーバーが終わって、次の五輪を目指すにあたって「ソチで終わりにしたいな」という気持ちと、「ソチが最後で、選手としての集大成なんだ」という覚悟で臨まないと、気持ちやモチベーション的にもう勝てないのかな、というふうに思っていました。
テリー 昨年12月の全日本選手権が現役最後のスケーティングだったわけですが、いい滑りをしていましたよね。
織田 ありがとうございます。ショートプログラムの日はとても調子がよくて、朝の公式練習の時もショートのプログラムを通しでやって、ホントに調子がよかったんです。本番で決められないのが僕の弱さというか、そういうところが出てしまったんですよ。
テリー だけど、フリーの演技では、すごくいい笑顔で終えられていましたよね。
織田 はい。満足のいく演技で終われたのがいちばんよかったなと思って。
テリー リンクで引退発表した時は、どんな気持ちでしたか。
織田 やはり、自分は幼い頃からスケートをしっかりやってきた人間なので、少し悲しい気持ちと、満足がいく滑りをしたあとで終わることができてよかったという、すがすがしい気持ちもありました。ただ、こうやって時間がたつと、毎日練習をしない生活というのは今までになかったので、心にポッカリと穴があいたような感じです。
テリー 1月に台湾で行われた、四大陸選手権に出てからやめようという気持ちはなかったんですか。
織田 自分としては、お世話になった日本のファンの皆さんの前で終わりたいという気持ちが強かったんです。あとは、僕が四大陸選手権に出てワールドランキングを取っても、すぐ引退するのでは意味がないですし、現役の若い選手に可能性を残すほうがいいかなと思って。
テリー 自分の記録のことよりも、若い世代のことを考えているのは、本当に織田さんらしいよね。これからは、どういう人生設計なんですか。
織田 僕は、自分のコーチでもあった母の背中を見て、自分も母のような指導者になりたいなと思っていますね。今は関西大学のアイスアリーナで母の手伝いをしています。
テリー ということは、関西のテレビには出てくることも多くなりそうですね。
織田 そうですね。全国のテレビでも呼んでいただければ、ぜひ頑張りたいなと思います。
◆テリーからひと言
後進を育てて、フィギュア王国日本をもっともっと発展させていってください!