鳥取県鳥取市にある弥生時代最大級の集落跡「青谷上寺地遺跡」で、県による本格的な発掘調査が始まった。
この遺跡は山陰自動車道の建設により発見され、第一次調査が1998年から3年3カ月の期間をかけて実施。約5500平方メートルの発掘現場からは、建物や火を使用した跡、大量の土器や木製の容器、鉄製農工具に貝塚などが出土し、約2200年前から約500年間にわたって栄えた大規模集落の存在が明らかになった。歴史研究家が解説する。
「しかもこの遺跡からは日本で初となる、弥生人の脳が3人分発見された。21年には採取されたDNAによって復元された、弥生人の顔が公開されています。さらに集落中心の東側からは、弥生時代後期の人骨が100人分以上発見されており、少なくとも10人には殺傷痕が見つかっている。そのため、大規模な戦があった可能性が指摘されているんです」
そこで歴史マニアの心をくすぐるのが、弥生時代後期に起きたとされる「倭国大乱」との関連性だ。
中国の複数の史書に登場する「倭国」は当時、日本で大勢力を誇っていた国家だが、これが「大乱」を起こしたと記されている。これは日本初の大規模内戦とされ、その原因は倭国の王位継承に端を発した争い、はたまた寒冷化による食物不足によって起きた襲撃など、諸説ある。その後、卑弥呼が王の座に就くことで戦争は終結し、邪馬台国連合が成立するという流れなのだが、
「青谷上寺地遺跡の集落で見つかった大量の人骨の年代と、倭国大乱が起きた時期が2世紀後半で重なります。しかも集落ではその後、急速に遺構跡が減少し、古墳時代には終焉を迎えている。そのため新たな発掘により『倭国大乱』との関係の手がかりが見つからないかと、専門家は注視しているのです」(前出・歴史研究家)
すでに発見された人骨の殺傷痕は何を意味するのか。卑弥呼誕生までの経緯、さらには邪馬台国の場所についても、手がかりが見つかるかもしれない。