報道の大きさは、やはり圧倒的だった。アカデミー賞で、2本の日本映画が受賞した。「君たちはどう生きるか」が長編アニメーション賞、「ゴジラ-1.0」が視覚効果賞である。
日本人は、日本や日本人が海外で評価されることを非常に好む。どの国もそうだろうが、日本人は特にその傾向が強いと感じる。メディアは、そこを踏まえる。大リーグの過熱報道が多いのも、そのひとつだろう。
ただ、今回の報道ぶりを見て、日本人を誇ってばかりはいられないと思ったのも事実だ。とりわけ日本の映画界にとっては、教訓とすべきことが多々あるのではないか。例えば、アカデミー賞の名を冠した日本アカデミー賞だ。
例年そうなのだが、アカデミー賞は受賞部門のプレゼンターが圧巻である(今年は人数を増やした)。大物俳優が、ずらり居並ぶ。テレビのニュースで見ただけでも、作品賞はアル・パチーノ、視覚効果賞はアーノルド・シュワルツェネッガーとダニー・デビートがプレゼンターだった。
話題になったトランプ元米大統領への、司会者の強烈なジョークに対して、会場にいる「ジョディ・フォスターさんらが大笑いした」との記事を見た。ジョディ・フォスターの「大笑い」しながらの登場が、ジョーク以上に目を引いた。
このあたりはしっかり真似したい。日本アカデミー賞も、プレゼンター中心に、大物俳優の出席を希望したい。それには、これまで受賞(特に最優秀賞)している人が、まずはふさわしい。
年齢も考慮しなくてはいけないが、思いつくだけでも香川京子、倍賞千恵子、桃井かおり、田中裕子、大竹しのぶ。あるいは山崎努、西田敏行、小林薫、佐藤浩市、渡辺謙らの名が挙がる。
優秀賞に名を連ねることが多い吉永小百合は、プレゼンターとして堂々と出席してほしい俳優の筆頭だと考える。どのような表情をし、しぐさを見せるのか。
日本アカデミー賞に関しては、相変わらず賛否両論があるようだ。いろいろな意見があるのはいいことだが、ひとつ、テレビ放送の中継があることの重要性に触れておきたい。
映画に関心のない人が映画館に足を運ぶことは、ほとんどないと言っていい。映画館に一生行かない人も、意外や多いのだ。だからテレビ放送は、そのような人たちに対して、1年間の日本映画の総括を伝える非常に大切な場だと考える。
その際に求められるのは、受賞者の方々とともに、日本映画界を支えてきた映画人へのリスペクトだと思う。本家・アカデミー賞は、先の俳優の名を見ただけで、それが強くうかがえる。俳優は、映画人の代表者なのだ。アピール度の高さも当然、含んでいる。
日本映画の受賞で、「誇らしい」と喜んでばかりでは能がない。日本アカデミー賞はどうあるのか。ひいては日本映画、日本映画界はどうあるべきなのか。映画関係者には、そのようなことが突き付けられている。
(大高宏雄)
映画ジャーナリスト。キネマ旬報「大高宏雄のファイト・シネクラブ」、毎日新聞「チャートの裏側」などを連載。新著「アメリカ映画に明日はあるか」(ハモニカブックス)など著書多数。1992年から毎年、独立系作品を中心とした映画賞「日本映画プロフェッショナル大賞(略称=日プロ大賞)」を主宰。2023年には32回目を迎えた。