山口百恵が白いマイクを置いて芸能界を去った80年、アイドル界は大きな激流に巻き込まれる。扉を開いたのは、何と言っても松田聖子である。どれだけ「ぶりっ子」と揶揄されようとも、聖子は一貫して“アイドルである私”を崩さなかった。また、それを可能とするだけの歌手としての実力があり、セールスにおいてもシングルの連続1位記録を樹立する。
同じ80年には河合奈保子や岩崎良美、柏原芳恵も続き、70年代後半の「アイドル冬の時代」を一瞬で終わらせたのだ。
そして、これをさらにパワーアップさせたのが「花の82年組」である。何しろ小泉今日子や中森明菜でさえ、デビューした年のレコ大新人賞候補の5組から漏れてしまうほどの「激戦」だった。堀ちえみ、松本伊代、石川秀美、早見優と、キラ星のごとく同じ時代に飛び出したのだ。
この時代まで、アイドルの多くは「歌手」を意味していたが、別の潮流も生まれた。それは薬師丸ひろ子・原田知世・渡辺典子の「角川三人娘」である。彼女たちの可憐な姿を観たいと劇場は超満員になり、その流れは宮沢りえの「ぼくらの七日間戦争」まで受け継がれていった。
さらに忘れてならないのは「おニャン子クラブ」の登場である。まるで放課後のクラブ活動のような素人ノリは、80年代というライトな時代だからこそ大ブームになりえたのだろう。グループだけでなく、次々とメンバーがソロデビューを飾り、ほとんどが1位を獲得するという異常現象となる。
熱狂的なファンからすれば、番組内で毎週のように行われるオーディションを観ることで、自分たちがイチからアイドルを育てているという気分にもなった。アイドル界の粗製乱造と冷ややかな声もあったが、もはや「芸能界という巨大なシステム」におもねるのでなく、ファンのそれぞれが“僕だけのアイドル”を発見する時代に変わっていったのだ。
この時期、もう1つ貴重な役目を果たしたのが「モモコクラブ」の存在。菊池桃子の成功をヒントに、雑誌「Momoco」からテレビ番組にまで発展したため、全国の美少女がここに集結。そこから酒井法子や西村知美、森口博子や杉浦幸らの豪華な顔ぶれを輩出したのだ。
河合奈保子
松田聖子と同じ「黄金の80年組」だが、豊満なプロポーションでは聖子を圧倒。グラドル以上に水着になることが多かった。
中森明菜
松田聖子の最大のライバルとして、80年代の女王の座を争った。2年連続のレコード大賞やカラオケの浸透度などでは明菜がリードした。
石川秀美
「花の82年組」にあって、レコード実績こそ明菜やキョンキョンに劣るが、すらりと伸びた太股の美しさと整った顔立ちは遜色ない。
薬師丸ひろ子
映画でしか会えない「角川三人娘」の先陣を切り、主演作は軒並み大ヒット。さらに「セーラー服と機関銃」など主題歌も売れに売れた。
原田知世
デビュー当時は素朴な印象だったが、その透明感で男たちのハートをわしづかみ。名作「時をかける少女」は、長らく語り継がれている。
渡辺典子
ひろ子に続けと角川映画のオーディションを受け、その美貌で満場一致のグランプリを獲得。ひろ子、知世と違う女子大生的な持ち味。
おニャン子クラブ
放課後のクラブ活動のノリで女子高生を集め、クラスにいそうな親近感でアイドル勢力図を一変させる。毎週、チャート1位を争った。
斉藤由貴
どこか神秘的な持ち味は、CMや「スケバン刑事」の麻宮サキ役で満天下にアピール。歌手としても「卒業」など評価の高い作品が多い。
南野陽子
斉藤由貴に続いて2代目の「スケバン刑事」のヒロインとなったが、初代に負けずに人気を拡大させる。美人度は80年代でトップ級。
菊池桃子
瞳の大きさと控え目な性格が85年組でトップの人気に押し上げた。その成功に起因した「モモコクラブ」も貴重な役割を果たした。
Wink
オルゴール人形のようなビジュアルで、無表情なまま歌い、バラバラの振付けというコンセプトが受けた。89年にはレコード大賞も獲得。
森高千里
自身によるセンスあふれる詞の世界、唯一無二のミラクルボイス、そして超ミニで見せる美脚は、アイドルとして1つの到達点となった。
宮沢りえ
後藤久美子に始まったローティーンの美少女ブームで台頭。その後、まさかの大胆な写真集や婚約騒動などで常に日本中をかき回す存在に。
(石田伸也)