3月17日、44日間の勾留生活を経て、清原和博被告(48)がシャバに舞い戻った。かつてはバット一振りで球場を沸かせたスーパースターが、警視庁から保釈後は、世の視線から逃れるように病院へと直行。今後の動向が注目されている。だがこの行動は、シャブ地獄であえぐ「闇番長」を陰から支え続けた後見人の思惑を無視したものだった。
清原被告の「後見人」が感慨深い様子で語る。
「ああ見えてキヨは小心者なんだよ。外見では右足と左胸から肩にかけて昇り竜の刺青を入れたりと強がって見せていたが、勾留生活は精神的にこたえたんだろう。だが、まさか勝手に保釈申請までするとは‥‥」
2月2日夜、警視庁組織犯罪対策第5課特命班に覚醒剤所持で逮捕された清原被告はその後、厳しい取り調べを受けた。2月23日には覚醒剤使用で再逮捕され、警視庁本部での勾留生活は実に40日以上にも及んだ。初めての経験に耐えきれず、独居房で夜な夜な涙を流していた、とも報じられた。スポーツ紙デスクが嘆く。
「子煩悩で知られる清原だけに、シャバで離れて暮らす2人の子供のことを思い出して泣いていたのかもしれないね。その一方で、引退後の清原の行動は無軌道極まりなかった。野球評論家として第2の人生を送っていたのに、平気で仕事に遅刻はするし、時には穴をあけることもあり、使いものにならなかった。さらに、14年3月に『週刊文春』にシャブ疑惑を報じられたことで、スポンサー契約をしていたパチンコメーカーからも契約解除されるなど、タレント生命も風前のともし火だった」
私生活でも亜希元夫人(46)と離婚するなど、ますます苦境に陥っていた清原被告を救ったのが、先の後見人だ。芸能界にも広いパイプを持つ後見人が「タレント清原」の再生法としてまず選んだのが「四国お遍路巡り」だった。
「まず、キヨには完全にシャブと手を切ることを誓わせた。そのうえで、黒い疑惑を払拭させるために『お遍路』を始めることを提案したんだ。本人も『お願いします』と快諾したので、ドキュメンタリー番組にできるようにカメラも密着させたんだよ」
もっとも、清原被告が途中で「足が痛い」などとネを上げたため、八十八箇所巡りは完歩とならなかったが、白装束に編み笠スタイルで四国を練り歩く清原被告の姿は、昨年4月の「金スマ」(TBS系)でも一部放送されていた。
だが、清原被告は再びシャブの闇に取り込まれ、今回の逮捕に至ったのだ。後見人が再び重い口を開く。
「保釈されれば、どうしてもマスコミの格好の餌食となり、追いかけ回されるのがオチ。ワイドショーなどで取り上げられ続けることで、キヨが逃げ回っているというイメージがついてしまう。だから初公判まで勾留生活を続けてよけいな注目を浴びぬよう、弁護士を通じて伝えていたのに何の反応もなく、勝手に保釈申請をしてしまった。初公判直後には、テレビ局1社独占で懺悔告白を放送させる予定もあったのに‥‥」