人喰いグマの最期もまた壮絶だった。前出の鹿角警察担当者と市の有害鳥獣駆除担当職員の証言が緊迫した模様を伝える。
「遺体の捜索隊がヤブに入ったら、姿は見えなかったものの近くでクマのうなり声が聞こえてきたので、危険を感じて一度ヤブを出ました。その後、上空からヘリで捜索したところ、ご遺体の位置が確認できた。その時点では周囲にクマがいなかったので再度ヤブに入って収容作業を開始したんです」(鹿角警察署担当者)
しかし、作業中にヘリから驚愕の情報が届く。
「我々から15メートルのところにクマが現れてこちらをうかがっていたそうです。作業の手を早め、爆竹で威嚇しながら、何とか撤収しました」(前出・鹿角警察担当者)
破裂音やヘリのホバリングの大きな音にも動じないクマなど、これまでの常識では考えられない、と捜索隊員たちは畏怖を覚えたという。
遺体収容後、警察の捜索隊は撤収。県の許可が下り、地元猟友会に緊急招集がかけられた。現場に直行したのは7人。そこに市の駆除担当職員も同行した。
「クマはご遺体から離れていたんですが、周囲に木の皮を剥いだ跡などの生活痕跡がありました。そこに罠を仕掛けようということで、3人が自宅に取りに戻ったんです。どういうふうに仕掛けるかを話し合っていたら、メンバーの一人が、ヤブからこちらをのぞく黒い塊を見つけました」
その“作戦会議”は、県道に止めた車の脇で行われていた。そこからヤブまでの距離は、約100メートル。1人が顔を出したクマに、ライフルの銃口を向けた。
「1発目の銃声のあと、クマの体がビクッと跳ねて逃げる様子が見えました。残っていた4人のメンバーが小走りで距離を詰め、2発目、3発目の発砲で、クマの動きが止まり、その場でバタバタと暴れ始めたんです」(前出・駆除担当職員)
4、5、6発と発砲を重ね、徐々にクマの動きが鈍る。そして、至近距離から7発目の銃弾が放たれ、クマは動かなくなった。
「動きが止まってからも、慎重に観察し、銃身の先で突いたりしてもまったく反応しなくなってから、絶命を確認しました」(前出・駆除担当職員)
こうして、いったん事件は終息を見た。しかし驚くべきことに、現場付近では事件後もネマガリダケを求めて入山者が絶えない。ネマガリダケの買取業者・北林俊介さんによれば、
「事件前とあとで私たちが買い取る量はあまり変わっていない。もちろん田代平だけではないですが多い日は1トンぐらい集まります。警察がテープやひもで道を封鎖しても、それを破って採りに行く人はいますね」
「自分だけは大丈夫」という根拠のない自信があるのだろうか。作家・増田俊也氏は、果てない「タケノコへの執念」に警鐘を鳴らす。
「北海道では、ヒグマの足跡や糞が発見されただけで、学校が休校になる。あの極真空手の創始者・大山倍達先生ですら、『体重10キロの猫に襲われたら、日本刀を持っていても勝てないだろう』とおっしゃっています。ましてやクマですよ。野生動物への認識が甘すぎると思います」
今年、ツキノワグマの目撃情報は全国で報告されている。第二、第三の人喰いグマ事件が起きないことを祈るばかりである。