80年代は社会を揺るがせる大きな事件が起こった時代でもあった。チェルノブイリ原発事故も悲惨だが、日航機の墜落現場、御巣鷹山はまさにこの世の地獄だった。
85年8月29日号はこんな書き出しで始まる。
〈陸上自衛隊が遺体の収容作業を開始した13日の午後、困難な道のりを超えて現場にようやく到着した。そこで見たものは、土にめりこんだ遺体、無残にちぎれた手や足、木に引っ掛かった肉片、そして死臭…。まさにこの世の地獄図絵だった。〉
修羅場を行く当時の記者の取材魂には脱帽だ。
〈自衛隊員が、引き上げた死体をひとまとめにしている。毛布の間から真っ白い手が見え番号札がつけられている。死ぬと人間の手はこうも白くなるものか。また、ビニールシートがかけられた12歳くらいの女の子の顔もはっきり見える。わきに転がったミッキーマウスの人形が痛々しい〉
記事は、現場ルポとともに、不幸にして事故機に乗り合わせた乗客の今後の補償問題を総力取材している。
「日本では起きない」と定説のように語られたのだが…
ソ連・チェルノブイリ原発事故は謎の部分は多いが、米・スリーマイル島事故をはるかに凌ぐ、史上最悪の惨事だった。86年5月15日号は遠く800キロ離れた現地の事情と事故の人体への影響、水や食品への影響について、身近な恐怖が迫っていることを伝えている。
〈高木仁三郎・原子力資料情報室世話人(物理学者)の話。「原子炉はウラン235を核分裂させて稼働し、通常の運転状態なら、核分裂生成物は燃料棒の中に閉じ込められているわけです。ところが、いったん燃料棒が溶け始めると、死の灰が温度上昇に従って、キセノンやクリプトン、ヨウ素、そしてセシウムといった順に、外に飛び出してしまうんです。そして、これらの種類を見れば炉心温度もわかるわけで、今回は1600キロも離れたスウェーデン国内から、セシウムが発見されたことで、燃料棒が解け落ちる「炉心溶融」に間違いないでしょう。スリーマイル島の場合は、約100キロ四方に放射能が検出された程度ですから、比べものになりません。おそらく、核爆発に近い威力だったでしょう」〉
御用学者が多いなかで、国の政策に批判的な物理学者にインタビューし、的確なコメントを掲載している。が、よもや20年後、日本でも同じような事故が起きるなんて……。