激しい性描写が売りの性愛小説を世に送り出してきた大御所作家が、小説さながらの下半身履歴をさらけ出す。あの日経新聞に「オナニー」「堕ろす」「浮気」といった文字が次々と登場したものだから、読者はさぞかし目を丸くしたに違いない。いや、そこにはまだまだ書ききれない性豪実態があった─。
天下の日本経済新聞の終面に60年近くも続く連載「私の履歴書」。名だたる著名人がみずからの出生から現在までの生きざまを1カ月にわたり掘り下げて描く人気コラムだ。古くは岸信介氏、中曽根康弘氏といった総理大臣経験者から、横尾忠則氏、渡辺貞夫氏、稲盛和夫氏、桂米朝氏、江崎玲於奈氏、長嶋茂雄氏‥‥と、政治家から財界要人、芸術家、学者、国民的スポーツ選手に至るまで、あらゆる大物が登場する。
直木賞作家・渡辺淳一氏(79)の「履歴書」が連載されたのは、今年1月1日からの1カ月間。昨年12月の森喜朗元総理から引き継いでのスタートだった。
まずは北海道での幼少時代から。占い師に「女難の相がある」と言われたという、何やら暗示的なエピソードが紹介されると、畳みかけるようにエロモードへと突入する。中学時代には、
〈この頃、わたしはオナニーを覚えかけたときだったが、自分のペニスが他人のそれより、小さいのではないかと案じていた。
そこでトイレに入り、落書きを見ると、それと同じような質問があり、それに答えが記されていた。(中略)わたしは昼休みの度、このトイレに入って、セックスのおおかたを学んだ〉
やがて札幌医科大学へと進学した渡辺氏は医師免許を取得すると大学院で4年間の研修生活に入り、ナースと男女関係に陥った。
〈そのうち彼女が妊娠してしまった。(中略)わたしは後悔したが、彼女はこのまま産みたいという。(中略)わたしは、堕ろすように頼んだが、彼女は「いやだ」といい、揉めに揉めた結果、ようやく堕ろすことに同意してくれた〉
どうやら結婚する気などさらさらなかったようで、さながらセフレ的な存在だったのだろうか。
30歳で見合い結婚した渡辺氏は札幌医科大病院に勤務するが、35歳で辞職。妻と2人の娘を札幌に置いたまま単身上京して、都内の病院でアルバイトをしながら小説家に転身した。ここで性豪ぶりは本格化する。
札幌時代の愛人が上京して銀座のクラブに勤めると、すかさず同棲。さらに病院のナースとの浮気がバレ、愛人ホステスは別のマンションに引っ越した。渡辺氏はある日、ホステスの部屋を訪ねると、スーツ姿の男がかいま見える。中からは「今、お客さんが来ているから、帰って」の声。「愛人の浮気」を疑った渡辺氏は、
〈直ちにタクシーを拾って近くの金物屋に行った。そこで糸鋸を買うと、再び九段のマンションに戻り、伸びたドアチェーンを糸鋸で切り始めた〉
渡辺氏は警察に連行され、占い師が予言した「女難の相」が的中。下半身履歴書に書かれた情交は、これが最後のエピソードだった。