「おせーて、おせーて」、「ワリーネ、ワリーネ、ワリーネ・デートリッヒ」、「アンタはエライ」‥‥。昭和を代表するコメディアン、小松政夫(71)が世に送り出したギャグは数多い。その量産を可能にした秘訣を本人に尋ねると、意外な答えが返ってきたのだ。
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「僕のはギャグじゃない。本来、ギャグっていうのは、練りに練られた台本の上に成立するものであってね。僕のは全部、はやり言葉。だから、言い放っては惜しげもなく捨ててきた」
小松は「日本喜劇人協会」会長である。こう話すのも、喜劇人としてのこだわりなのだろう。とはいえ、その「捨ててきたはやり言葉」が今なお人々の記憶に刻み込まれているのだ。
本誌のアンケート調査でも上位に入っていることを伝えると、破顔一笑してこう話すのだ。
「それは、本当にありがたい。自分で言うのもヘンだけど、ある年齢層より上の人たちには浸透していると実感させられることも多い。例えば、『小松の親分さん』というのがあるでしょう。地方で夜道を歩いていたら、『親分さん!』と声をかけられた。振り向くと、見るからに本職の方でね。『おう!』と返事するわけにもいかないし(笑)。本当に口をついて出た言葉があらゆる人に受け入れられたわけだけど、とっさに出たフレーズとはいえ、全部にモデルがいるんだよ」
今回、本誌のアンケート調査で6位となった「しらけ鳥音頭」こは「見ごろ!食べごろ!笑いごろ!」(テレビ朝日)の中で歌われたものだが‥‥。
「その当時、『しらける』という言葉が流行していた。『ホワイトキック(白+蹴る=しらける)』とともに『しらけ鳥が飛んだ』というフレーズが会話の中で使われていてね。それを勝手に拝借しちゃった。それで、しらけ鳥を東西南北それぞれの空に飛んでいかせて、歌詞ができたというわけ。この手の話は何時間でもできるよ。以前、あるプロデューサーが僕の『ギャグを数え上げたら86個あった』と言うんだ。この人もオタクだったんだろうけど、ホワイトボードにズラッと書き出してくれた。すると、僕は全部のモデルとエピソードを覚えてたんだよ。これを話しだすと3日がかりになる(笑)」
貴重な話を聞くのに時間は惜しくはないが、「ここはひとつ」最も難産だったギャグを教えてもらおう。
「やはり、『ハイ、またまたお会いしましたねぇ』かな。あれは、大阪の梅田コマ劇場でクレージーキャッツの1カ月公演があった時だった。芝居が1時間20分あって、15分間の休憩を挟んで歌謡ショーという流れだったんだけど、ハナ肇さんが『流れを止めたくない。自然に歌謡ショーに入りたいから、着替える時間の5分間だけ、お前1人でつなげ』って。毎日、いろいろやったけど客席はクスリとも笑わない。もう死んでしまいたいくらい。で、ハナさんも『やっぱり休憩するか』と言いだした。あと1日だけと言って、やったのが映画評論家の淀川長治さんのモノマネだった。『さあ、すごいですねぇ。ソーヤングですねぇ。でも、怖いことにクレージーのメンバーの平均年齢60歳なんですね』ってやったら会場はドカーンとなってね」
師匠に当たる植木等から「芸は教わるものではない。人の芝居をよく見なさい。お前はモノマネがうまいから、観察力が鋭い。大いに結構」と常々励まされていたという。まさに、小松が本領を発揮した瞬間であり、このギャグが植木の付き人から芸人へと出世する契機になったのだ。
「その後、ワタナベプロ総出演の舞台で挨拶することになって、『ハイ、またお会いしましたねぇ。私、こればっかりですねぇ~』とやったら。本番中にもかかわらず、舞台袖で植木に『お前、何でこればっかりですねぇなんて言うんだ。あれだけ苦労して作り出したんだ。自信と誇りを持て。あのマネを誰かがするようになったら、淀川さんのマネじゃなく、お前のマネをしているんだからな』と言われてね。やっと認められたんだと、うれしかった。植木は80歳で亡くなった。それから考えると、私もあと10年ぐらいかな。それまでに、はやり言葉ではなく本格的なギャグを世に送り出したいね」