一方、冒頭の世IV虎vs安川だけでなく、女子プロレスにも数々の凄惨マッチが存在する。一歩間違えば生命の危機に陥ったのは、バラエティで鬼嫁キャラを発揮する北斗晶だ。
北斗が本名の宇野久子名義で戦っていた新人時代、瞬く間に出世街道を驀進したのはよかったが、そのことがプレッシャーとなり、全日本女子プロレスから集団脱走する。呼び戻された宇野に、制裁マッチとして組まれたのが87年4月27日、大阪府立体育会館での先輩とのタッグ戦である。
宇野久子&堀田祐美子vs小倉由美&永堀一恵の試合。宇野は小倉から「雪崩式ツームストン・パイルドライバー」という受け身の効かない大技を食らい、首を骨折。一時は死ぬことを考えたほどの長い入院生活を送る。
「北斗は若手時代から生意気な面もあったし、出世街道に乗っていたことで、先輩から制裁の意味もあってやられちゃったね」(ターザン氏)
もともとは同じ派閥だったブル中野vsアジャ・コングの遺恨決着も苛烈だった。90年11月14日、横浜文化体育館で「金網デスマッチ」にまで発展。2人が袂を分かったとたん、会社ぐるみで遺恨を増幅させたのが女子プロ流だ。
「当時の関係者に聞くと、アジャ側に『ブルがこんな悪口を言っていた』、ブルにも『アジャがこう言っていた』と話を膨らませる。金網デスマッチは、殺し合うつもりでやっていたそうです」(ユリオカ超特Q)
そして最後は、女子プロレスに衝撃を与えた87年7月18日、神取忍vsジャッキー佐藤のシュートマッチである。意見が食い違っていた両者が決着をつけるために組まれた一戦だが、ナックル連打の神取にジャッキーはなすすべもなく、この日限りで引退に追い込まれる‥‥。
神取自身に当時を振り返ってもらった。
「やりすぎた部分はあったけど、ただ、事前に会社にも相手にも『こういう試合になるかもしれない』とは伝えてあった。当時は『掟破り』と言われたけど、それでも骨折はさせていませんから」
プロ野球の乱闘と同じく、選手の感情が爆発する「ガチンコ勝負」も“リングの華”ではなかろうか──。