85年4月に誕生した「おニャン子クラブ」は、革命的なアイドルブームを起こした。わずか2年半の活動だったが、結成30周年の今年、再び注目を集めている。会員番号33番の布川智子(46)と50番の杉浦美雪(43)が熱狂の日々を語り合った。
── おふたりは中期以降の加入ですが、緊張感はありました?
布川(現・荻野)智子 私のお兄ちゃん(布川敏和)と秋元康さんが仲よかったので、もともと「おニャン子に入れたら?」って話はあったんです。実はお兄ちゃん、おニャン子の中に彼女がいたんですよ。
── あれ? 離婚したつちやかおりとは当時からつきあっていたんじゃ‥‥。
布川 まあ「二股」だったんでしょうね(笑)。
── そして杉浦さんは、加入当初は中学生だったので「おニャン子B組」のスタート。
杉浦美雪(現・未幸) 初めて先輩の皆さんにお会いしたのが武道館コンサートの控え室。挨拶している間も、脚がブルブル震えていましたね。
── 震えていた脚はおニャン子の解散後はレースクイーンとして見せつけたわけですよね(笑)。さて、おニャン子を生んだ「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系)は月~金の生放送。印象的な場面は?
布川 とんねるずの石橋貴明さんが、立見里歌さんや内海和子さんを「オイニー(匂いが強いの意)」ってからかっていました。あまりに頻繁だったから、タカさんと立見さんは本気のケンカになっていましたよ。
杉浦 私は桑野信義さんと地方ロケに行ったこと。終わって高級なお寿司をごちそうになって、私だけこんないい思いしていいのかしら‥‥と恐縮しましたね。
── ギャラはどうでした?
布川 一律で1日5000円だったんです。
── 30年前としては悪くない“バイト”ですね。
杉浦 ただ、学校の試験の1週間前から強制的に休ませられました。
── おニャン子の時代は、管理が厳しかったことで有名ですが。
布川 地方コンサートの宿泊はホテルのワンフロアを貸し切って、そこから一歩も外出できないんです。ガードマンが厳重に見張っていましたから。
杉浦 部屋では「カーテンを開けるな!」って厳命されていましたし。
── 追っかけのほとんどは暴走族じゃないかと言われたほど、ファンの過熱ぶりが目立ちました。
杉浦 私はレコード会社の寮にいたんですけど、ゴミ捨て場からゴミをあさっている人がいたって聞かされて‥‥。それがショックで、出すゴミには気をつけるようになりました。
布川 私は兄のマンションに居候していたんですけど、毎日、お菓子やら縫いぐるみやら玄関に置いて行く人がいて。一度、ポスト用の小窓を開けたら、向こうからものぞいていて「ギャーッ!」って叫んだ(笑)。
杉浦 プレゼントで思い出したのは、薬局の入り口にカエルの置き物があるじゃないですか? あれがカワイイってテレビで言ったら、次の日にはドアの前にドーンと(笑)。
── それは犯罪です! さておニャン子は、現在のAKB48のルーツとして語られることが多いですが。
布川 あの子たちは「秋元先生」だもんね。私なんかいつも「アッキー」って呼んでいたのに(笑)。
杉浦 でも、私たちの頃と比べると、踊りのレッスンとかすごくハードそう。
布川 おニャン子の振り付けはAKBより簡単だったけど、私なんか、そのレベルでもハードだったわ(笑)。
── さて、結成30周年の今年、何か動きがありそうですね。
杉浦 3月にCDシングルの復刻セットが出ました。126枚組なんて、世界初かもしれません。
布川 6月には記念イベントもあるので、皆さんにお会いできますよ~!