一枚岩に見えた山口組の分裂は社会に大きな衝撃をもたらした。だが各界を見渡せば、組織が「割れる」ことは珍しいことではない。ラーメン界の一大勢力に、新興政党、そして大手家具販売会社‥‥。世間を騒がせた骨肉の内乱を追跡取材。「壮絶シバキ合い」で話題をさらった当事者たちの“今”を明かす。
「“本家”が仲裁に乗り出しても、二代目はまったく応じなかったようです。こうなると、もはや関係修復は不可能。どちらにつくか右往左往する店主は多いですよ」(大勝軒関係者)
人気ラーメン店「東池袋大勝軒」の初代創業者・山岸一雄氏(享年80)の弟子ちで構成され、かつては一枚岩の団結を誇った「大勝軒のれん会」。だが、山岸氏の逝去から4カ月後の今年8月、組織は真っ二つに割れた。約60名の会員のうち、16名が脱会し、新たに「大勝軒 味と心を守る会」を立ち上げたのだ。
「脱会した会員たちは、東池袋大勝軒の二代目であり、のれん会の“顔”でもある飯野敏彦氏に不満を抱いていた。山岸さんが亡くなった時、すでに亀裂は表面化。葬儀の場から締め出された会員もいたそうです」(前出・大勝軒関係者)
分裂騒動が公になったことで、仲介に動いたのが「中野大勝軒」。山岸氏が1961年に独立するまで修業し、ここで出したまかな食がつけ麺のルーツと言われ、いわば本家に当たる。同店の坂口光男社長は山岸氏の再従弟(はとこ)に当たり、まさにうってつけの仲裁役だったが、冒頭のように説得は不発に終わったようだ。
「ここまで騒ぎが大きくなってマスコミの注目が集まる中、『何を言っても守る会側の売名行為に加担することになる』というのが飯野氏の言い分のようです」(前出・大勝軒関係者)
あらためて仲裁交渉について話を聞こうと坂口社長を直撃すると、
「コメントは差し控えさせてください」
代わって、離脱派の「守る会」事務局長の小汲哲郎氏が取材に応じた。
「クーデターとか分裂とか騒がれていますが、飯野氏に対して恨みやわだかまりは一切ありません」
こう前置きしたうえで、分裂の要因は「のれん会」の運営方針にあったと明かす。
「東池袋本店を頂点として、直営店を上部に置くピラミッド構造にどうしても納得がいかなかったのです。最も大きいのはマスコミ対応。加盟店は本店に無断で取材を受けてはいけないというルールがありました」
山岸氏の下で修業し、のれん分けを許された弟子は300人以上。そのうち約100人が「大勝軒」の看板を掲げて独立している。
「東池袋の店舗が『本店』を名乗っていますが、のれん会の加盟店は支店でもなく、それぞれが一国一城の主。取材の申し込みがあるたびに、のれん会におうかがいを立てていては円滑な広報活動ができず、結果的にメディアの露出は本店に集中していました」(前出・小汲氏)
かつて、のれん会は意見交換を目的に年に1度定例会を開催。10年12月に開催された会議でもマスコミ対応が議題に上った。記者は会議を録音した音声データを独自入手。そこには会員と事務局側との激しいやり取りが確認できた。
「マスター(山岸氏)は各店舗で取材を受けていいと言っている。マスターの言うことが全てでしょう」
規制の撤廃を求める会員に対し、事務局側はこう突っぱねるのだ。
「撤回はできないです! こちらではクレームだって数えきれないくらい受けているんですから」
会議は結論が出ないまま閉会。この悶着があってから定例会は行われていない。「苦情処理」も請け負うと発言していた事務局に、取材を申し込んだが、
「取材は一切お断りしております」
一方の守る会は、あくまで味で対抗する構えを見せる。代表発起人の一人で、「お茶の水、大勝軒」店主の田内川真介氏が言う。
「私が独立した時は、山岸さんが仕込みから顔を出してくれて、『お前だけは味を変えないでくれ』とありがたい激励の言葉をいただきました。今もその教えに従い、毎日5時間以上かけてスープを作っています。しかし、別の店舗に行ったお客様から『あそこの味は違う』というお叱りの声を聞くようになって、『守る会』に参加しました。今後は定期的に勉強会を開いていく予定です」
本店派か、離脱派か──。読者諸兄には、近くの大勝軒でみずからの舌でジャッジしてもらいたい。