そして、思いもよらない“事件”が起こり、羽生田氏の転落は決定的なものとなってしまう。
「6月にあった全日本クラブ選手権の東北予選で、14対0の勝ち試合だったのに、未登録選手を代打起用してしまい、没収試合で負けてしまった。それが新聞に載って、それまで『会社経営』の肩書で通していた債権者にも、自分の本当の職場が知られてしまった。『ヤバいな』と思いました」
翌月、都市対抗野球大会の東北予選が行われた福島県営あづま球場に、羽生田監督の姿はなかった。
「球場に、借金取りがたくさん来たらしいです。自分は体調不良ということで休んで、そのまま監督を辞任しました」
その顛末は匿名ながら週刊誌の記事にもなったという。〈元・西武の選手が闇カジノで2000万の借金〉という電車の中づり広告を見た羽生田氏は、
“2000万どころじゃねえよ!”
と思ったという。とうとう定期収入すらなくなったことで、羽生田氏は人生の岐路に立たされる。
「嫁さんの実家が所沢にあって、借用書に書き込む住所はそこにしていたんです。もうダメだと観念して、嫁さんに洗いざらい話しました。ビックリしてましたね。自分がギャンブルをやってたことすらまったく知らなかったから‥‥。彼女は連帯保証人になっていたわけじゃなかったので、『俺は家を出る。たぶん、これから債権者から連絡が来るけど、とっくに離婚したからわからない、ということにしろ』って言いました。その後、離婚届を書いてる時は泣いてましたね。それから今に至るまで会っていない。合わせる顔がないですから‥‥」
闇金やカード会社に関しては弁護士に頼んで債務処理をし、知人から借りた“利子のない借金”だけが残された。しかし、それから約5年間、羽生田氏は無為の時を過ごすことになる。
「何かをやろう、という気になれなかった。最終的には差し押さえられるんですけど、その時はまだ、債務者に知られていないマンションがあったので、そこにずっといて、本当に限られた人としか連絡を取らない、何もしない毎日でした」
食事に関しては、その知り合いたちが毎晩のように、誘い出してくれた。その中には債権者もいたが、金を返せない羽生田氏を見捨てず、支援してくれていたという。
「仕事の面倒も見てくれました。ひと月だけ電気工事をやったり、トラックの運転手を3カ月やったり。たまに野球教室を開いたりもしました。ただ、年間で100万円も稼いでないような生活でした」
そんな無気力状態を抜け出すきっかけも、支援者の一人が用意してくれたものだった。一時的で終わらない仕事を紹介されたのだ。
「こういう状況だけど、動くだけ動けば、そのうちにやる気も出てくるはずだ」
そう思って話を請けた羽生田氏は、昨年までその健康食品のネット販売事業に従事した。また、細々とではあるが、収入から借金を返し続けているという。
「お金を借りたのが銀行とか闇金ばかりだったら、自己破産していたかもしれないけど、大半が知り合いでしたから。破産して180人とのコネクションや友情をなくしたくない、という気持ちもある。180人の中には連絡も取らなくなってる人も当然いますし、全員に返せるわけねえな、とも思うけど、自己破産は『もう返さない』って宣言することですからね」
そして現在、羽生田氏は新たな再起の道を歩み始めている。知人経営者が始める新事業に、声をかけてもらったのだ。
「世話になっている弁当屋を併設した居酒屋のチェーン店を、都内で10店舗ほど経営することになりました。さしあたり今は、最初にオープンする数店の名前や場所を詰めているところ。単なる“名義貸し”じゃなくて、弁当のメニューの決定や、仕出し弁当の営業・配送まで何でもやるつもりですよ」
ワンコイン弁当をいくつ売れば借金完済となるかはわからない。でも、少しずつ積み重ねていくしかない。
「最終的に、この店が解雇されてしまったプロ野球選たちを雇ってあげられる、受け皿のような形にしていきたい。それが自分の、今の夢ですね」
奇跡の大逆転は成るか。“野球は9回2アウトから”である。