近代日本漫画の原点ははたしてどこにあり、いかなる発展を遂げて現在のようになったのか。歴史をたどると、出てきたのは意外な事実。天才漫画家たちの豪放秘話とともに、紙芝居や浮世絵、欧米漫画が入り乱れる「世界一になった必然」を明らかにする。
中国では一貫して反日強硬姿勢を展開した江沢民時代以降、日本語を学ぶ者はほとんどいなかった。そして習近平体制下の今、東シナ海問題などで日中は激突を繰り返している。そんなご時世なのに、中国では今、日本語を学ぶ者が増えている。なぜか。
「日本の漫画やアニメを原語で見たいのです」
20年以上にわたって日中間の文化交流事業に携わる中国人がこう話す。
「最近の中国の子供たちは優しくなりました。『ドラえもん』のおかげです」
「ドラえもん」を読んだ子供たちが人を思いやることを学ぶ。藤子・F・不二雄(藤本弘)が聞いたら、どんな顔をしただろうか。
私は学年誌で「ドラえもん」を何度か担当し、藤本氏とは付き合いが長かった。学年誌の多くの編集者は打ち合わせの時、ドラえもんがポケットから出す小道具のアイディアを提案し、時にそれが採用されて大喜びしていた。でも私はいつも、雑談の花を咲かせていた。藤本氏は不思議な実話が好きだった。不思議な場所の話も得意で、地底世界の話など始めると際限がない。トルコのカッパドキアやイースター島の地下洞窟など、世界中を取材していたのだから、それも当然だろう。
「ゾウの鼻が長いでしょ。あれはね、ダーウィンの進化論じゃ説明できねえんだよね」
独特の富山弁でこの話を3時間も滔々と語る。
作品とは無関係な雑談を好む漫画家は多い。水木しげるはその最たる人物で、雑談が始まると2時間、3時間など少ないほう。午後いちばんで訪ね、帰社は夜というのが常だった。
正直な話、漫画家は誰もが超変人、超奇人である。
週刊誌の編集長がさる漫画家とバッタリ出くわし、初対面ながら互いに相手の顔を知っていたため名刺交換をして、その場で漫画論を戦わせた──というと微笑ましい物語だが、その場所がソープランドの待合室だったと明かせば、どう思うだろうか。その漫画家は、誰でも知っている超大物なのだが、実名を明かすわけにはいかないだろう。
「鉄人28号」や「バビル2世」などを生んだ横山光輝を担当していた時のこと。編集部にかかってきた電話に出た編集長が、最大限の敬語を使い、電話に向かってお辞儀をしながら私を手招きする。
「横山先生からだ。設定を根底から変更したいから、キミとじっくり話し合いたいというんだ。今すぐ出られるか?」
入稿作業の途中だったが、横山宅に急行する。
「おぉ、来たか。三麻(サンマー)はつまらなくてな。今日は徹夜を覚悟しろよ」
何のことはない。麻雀のメンツが足りなくて、編集長に難癖をつけて私を引っ張り出したのだ。その後も毎月のように、いろんな理由をつけては呼び出されたものだった。
志波秀宇(しば・ひでたか)<漫画 研究家>:昭和20年東京生まれ。早大政経学部卒。元小学館コミックス編集室室長。元名古屋造形大学客員教授。小学館入社後、コミック誌、学年誌などで水木しげる、手塚治虫、横山光輝、川崎のぼるなどを担当。先頃、日本漫画解説の著書「まんが★漫画★MANGA」(三一書房)を出版した。