テリー 資料によると、瞳ちゃんは幼い頃にお母さんを亡くしているんだね。
安枝 はい、10歳の時に、乳ガンで。そのあとはお父さんが、1歳年下の妹と私を、男手一つで育ててくれました。
テリー お父さん、お仕事は何をされていたの?
安枝 ごく普通の会社員です。
テリー 仕事をしながらの子育てっていうのは、家事に慣れない男性の場合はさらに大変だろうね。
安枝 でも、お母さんの入院期間が3年ぐらいあったので、その間にお父さんも料理を覚えて、私が高校に上がるまで、夕食はお父さんが作ってくれてました。
テリー ああ、じゃあお母さんの病気がわかってから亡くなるまでの間に、ちょっと心の準備をする時間があったんだね。
安枝 そうなんです。「あんまり長く生きないかもしれないから」みたいな話をされて、私たちも幼くてよくわからないままに、とりあえず引き継げる家事を引き継ぐ、みたいな感じで。
テリー 掃除とか洗濯とか、子供でもやれるお手伝いをしたわけだ。
安枝 ええ。まだ妹が幼稚園の年長さんとか小1ぐらいだったので、「私がしっかりしなきゃ」みたいな気持ちは、いちおうあったと思います。
テリー お母さんが亡くなった時は、やっぱり悲しかった?
安枝 不思議と、その当時はホントに何にも感じなかったんです。お葬式の時もみんなに「大変だね」って言われたんですけど、特にどうとも思わなくて。お通夜と葬儀の間に1泊するのが、ちょっとした旅行ぐらいの気持ちでしたね。
テリー 子供って、そういうものかもしれないね。ケネディ大統領が暗殺された時も、お子さんは無邪気にはしゃいでいたからな。じゃあ、その悲しさを実感したのはもっとあとになってから?
安枝 そうですね。知り合いのご家族が亡くなられたとか、いろいろな人の話を聞いているうちに、「あ、そうか、私もお母さん、おらんかったんや」って思えるようになってから、悲しさや寂しさを、あらためて感じました。
テリー やっぱり、そういうもんだよね。で、そのあとどういう経緯でこの業界に進むことになったの? 23歳で上京っていうのは、グラドルとしてはちょっと遅いよね。
安枝 はい。まず高校に入ったんですけど、バイトとだんじり祭が楽しくなってきちゃって、「私、何でここにおるんやろう?」と思うようになって。1年の2学期が始まると同時に高校を辞めちゃったんですね。
テリー エー、だんじり祭のために学校を辞めたんだ。それ、すごいなァ(笑)。
安枝 アハハハ、やっちゃいました。そのあと、バイト代で学費を賄って、通信制の高校に入り直したんですが、結局、あれこれ忙しくて、卒業できたのが20歳だったんです。
テリー まあ、卒業しただけでも偉いよ。どんなバイトをやっていたの?
安枝 もう、いろいろです。ガソリンスタンド、ファミレス、居酒屋とか。モロゾフの工場でお菓子をひたすら袋に入れたり、あと、憧れの東京ディズニーランドの代わりに、USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)の中の飲食店でも働きました。
テリー 代わりってどういうこと? あ、関西にいたからか。
安枝 ええ。当時、東京は怖いところだと思っていたので。
テリー いやいや、危険度で言ったら、だんじり祭のほうが断然怖いよッ(笑)。