広瀬すずが女子プロレス好きを公言しているが、そんな女子たちを“プ女子”と呼ぶ現象も起きるほど、プロレス人気が高まりを見せている。
あのお笑い帝国の吉本興業もこんな日が来ることを予測したのだろうか、1995年に女子プロレスに参入している。
「吉本女子プロレスJd’(ジェーディー)という新団体で、ジャガー横田や元クラッシュ・ギャルズのライオネス飛鳥などがメインの選手でした」と言うのは、当時取材した格闘技系雑誌のライターだ。
吉本の看板をフル活用して、覆面コミッショナーにはあの桂三枝(現・桂文枝)が就任。西川きよしもリングに上がり、天然ボケのきよし節で会場を爆笑の渦に巻き込んだ。
テレビのバラエティ番組で芸人と女子プロレスラーが絡むことはよくあったが、試合の合間の余興として芸人が登場することに対しては、プロレスファンから反感を買うこともあったようだ。
「しかし、そのリングに上がった芸人はその後、どんどん売れていきました。タカアンドトシ、雨上がり決死隊、博多華丸・大吉、バッファロー吾郎、ケンドーコバヤシ。イベント司会者をしていた極楽とんぼも売れました。一時期は、プロレスのリングで冷笑を浴びた芸人は売れるというジンクスが生まれたほどです」(前出・格闘技雑誌ライター)
当のJd’は、旗揚げしたその年から興行動員・収益が厳しく、吉本は発足から8年後に事業から退いた。その後は経営権が譲渡され、団体名の改称、コンセプトの根本的見直しなどで立て直しを図ったが、07年にマット界から完全撤退した。あれからちょうど10年。よしもとは今の“プ女子現象”をどう受け止めているのだろうか。
(北村ともこ)