今年7月、突如、ものまねからの引退を発表した清水アキラ。一方、芸能生活30周年を迎えたコロッケは座長公演を終えたばかり。90年代のものまねブームを牽引してきた2人が初めて語ったのは分裂から20年が経過した「ものまね四天王」の真実だった。ブーム前夜の下積み時代の紆余曲折を振り返る─。
「来年いっぱいで、ものまねからは離れようかな」
今年7月15日、中野サンプラザで行われた公演の会見で突然、ぶち上げた引退プラン。ものまね界の大御所・清水アキラ(58)にその真意を尋ねてみると、意外な答えが返ってきた。
「あれは、ものまね自体をやめるのではなく、『ものまね王座決定戦』(フジテレビ系)を卒業するという意味。この番組で飯を食わせてもらえるようになって約30 年。俺も60歳を目前に新たな目標が生まれ、けじめとして番組を辞めさせてもらいたいと。それが引退と捉えられたみたいだね」
ものまねブームの火付け役となった「爆笑!スターものまね王座決定戦」がスタートしたのは、85年のこと。80年代前半に一世を風靡した「THE・MANZAI」でお笑いブームが巻き起こると、そのあとを追うようにものまねブームが起きた。仕掛けたのは、当時、視聴率三冠街道を驀進し、漫才ブームを仕掛けたフジテレビ。すぐに番組の視聴率はもとより、これまで“飛び道具”的な扱いだったものまねが、一躍、お笑いのメインストリートに躍り出たのだった。その中でも、清水をはじめ、コロッケ、ビジーフォー、栗田貫一は、“ものまね四天王”として、一気にスターダムを駆け上がったのだった。
「当時“日本一忙しい芸能人”を自称していたよ(笑)。月に20回も営業やっているタレントなんて他にいなかったし。グアム日帰りでディナーショーをやったこともあったな」
その人気ぶりは半端ではなかった。おもだった地方の演芸ホールの控え室には必ず「ものまね四天王」のサインが飾ってあったという。なぜこれほどものまねブームが巻き起こったのか?
清水の分析を聞こう。
「次に何が出てくるかわからないのが、ものまねのいいところ。研ナオコが出てきたら、次は村田英雄なんだよ(笑)。さらにアホの坂田、谷村新司と来るんだから。何が出てくるかわからない。歌手のショーだとこうはいかない。そこが、おもしろいんだよ」
ものまね四天王の中でも清水のものまねの代名詞といえば、下ネタに尽きるだろう。五木ひろしの「よこはま・たそがれ」を下ネタ調にアレンジにして「♪よこはめ〜、たてはめ〜」と大真面目に歌ったかと思えば、尻を出して笑いを取ることも‥‥。だが、清水のものまねは、下ネタもありながら、なぜかゴールデンタイムの番組でも嫌われることはなかった。
「“♪よこはめ〜”なんて子供にはわからなくても、大人になったら『あ、清水アキラが言っていたのはこれか』とわかる時が来る(笑)。それがいいんだよ。俺の下ネタはさらっとした下ネタ。自分で言うのもなんだけど(笑)。でも、子供が私立に行った時には、さすがに女房に『お父さん(テレビで)、お尻出すのはやめて』って言われたよ(笑)。『これは俺の人生だから好きなようにやるんだ』って断ったけど」