「喧嘩両成敗」という言葉は、我々日本人なら誰もが(と言ってもいいほど)知っている言葉である。
それが知れ渡るきっかけとなったのは『忠臣蔵』。
播州赤穂藩主の浅野内匠頭が、高家(江戸幕府で儀式を司る役職)筆頭の吉良上野介を殿中松の廊下で刃傷に及んだ結果、内匠頭は切腹。赤穂藩は取り潰し。上野介は「お咎めなし」の幕府の裁定が「喧嘩両成敗」でないとして、赤穂浪士四十七士が吉良邸討ち入り。上野介の首を取り、主君の仇を討った。その過程が歌舞伎、小説、映画となって、今も人気を博している。
裁判制度の整った現代では、「敵討ち」や「復讐」はもちろん、「喧嘩両成敗」という即断即決的な考え方も認められず、「喧嘩」に対しては証拠や証言によって「真相」が究明され、「喧嘩」をした両者のどちらに非があるかが判定され、処罰されることになっている。
‥‥と、忠臣蔵を持ち出したのは、横綱日馬富士が同郷のモンゴル人力士貴ノ岩に対して「暴行」した「事件」を考え直したいからだ。
九州場所の約2週間前、巡業中の宴席で起きた横綱の「暴行」に対して、貴ノ岩と師匠の貴乃花親方は「事件」のあった鳥取県警に被害届を提出。その「横綱の暴行事件」は、九州場所3日目にスポーツ紙によって大きく報じられたため、テレビや新聞などのメディアは一斉に「大騒ぎ」。大相撲は本場所そっちのけの混乱状態となった。
が、はっきり言ってこの「騒ぎ」は、本来ならば角界(日本相撲協会)のコップの中の嵐で済む話だ。
横綱が貴ノ岩をビール瓶で殴ったのか、素手で殴ったのかは知らないし、貴ノ岩の頭部のケガが頭蓋底骨折や10針も縫ったほどの重傷なのか、相撲を取るのに支障がない程度の軽傷なのかも知らないが(そんなことは相撲協会がチョイと調べればすぐにわかるはずだが)とにかく、「喧嘩は必ず双方に非がある」という「喧嘩両成敗」の原則に則り、相撲協会が両者を応分に処罰し、世間を騒がせ、相撲ファンを心配させたことを詫びれば済んだ話だ。
ところが警察沙汰になったことで問題はコジレた。
警察は(検察や裁判所も)「喧嘩両成敗」などという武家時代の武断政治の思想など採用しない。丸く収めるのではなく、白黒をつける。その基準は、暴力は絶対にいけないというものだ。「あんたらの時代は終わった」という貴ノ岩の横綱に対する発言が無礼だったとか、横綱の前でスマホを触り続けた態度が悪かったとか、そういう若い力士の態度を横綱が正し、曲がった性根を叩き直そうとした‥‥ということなど関係ない。
どの程度の暴力だったのか、ということだけが問題となり、処罰が決まる。貴ノ岩の無礼や態度の悪さは暴力度ゼロ。それに対して日馬富士の暴力は、暴力度が10か50かは知らないが、ゼロでないことは確か。
しかし大相撲(日本相撲協会)として、それでいいのか? これは、天下の横綱が暴行傷害の犯罪者と指弾されなければならないほどの事件だったのか?
弟子の貴ノ岩が暴力を振るわれたことを怒る師匠貴乃花親方の心情は理解できる。が、その怒りは、警察の調査と真相解明や、検察の追及と罪状認定、裁判所の裁定と処罰が下されなければならないほどのモノだったのか? 貴ノ岩には落ち度がなかったのか?
「暴行事件」のあった翌日には、日馬富士と貴ノ岩は和解したとの報道もある。貴乃花親方みずから「喧嘩両成敗」という考えで、日馬富士と伊勢ケ浜親方に強く抗議すると同時に、弟子の貴ノ岩にも厳重注意を喚起すれば、日馬富士も貴ノ岩も、そして角界も、誰も傷つかずに反省して済んだはず。それが伝統ある大相撲の処し方のはずだ。
玉木正之