それまで“たわわなバスト”の最高峰とされていたFカップ。だが、月日の流れと比例するようにカップ数も上昇。00年代には、Gカップ以上が主流の時代が到来する。そして05年、驚異のJカップで、水樹たま(32)が鮮烈なデビューを果たした。
「それまで、この胸でいいことはなし。服が似合わないし、からかわれたり不思議な生き物のように見られたり、高校生時代は毎日痴漢と攻防戦を繰り広げていましたから。でも、グラビアデビューして、『やっとこの胸を有意義に使える時が来た!』と、プラスに思うことができたんです」
見るも幸せなトランジスタグラマーは、グラドル界に重量級のインパクトを与えて、06年の日テレジェニックに選出。同期は軟乳の“おっぱい番長”こと相澤仁美、「ミスマガジン」との2冠の草場恵、長身美形の原幹恵だが、驚くべきことに皆、Gカップ以上。爆乳時代突入を象徴するメンバーであった。
「みんな仲よかったですよ。相澤さんはバラエティで、みきぽん(原幹恵)は女優、草場ちゃんは方言の抜けない愛され妹系キャラで、それぞれキャラが確立されていて。もっと活躍すると思っていたのに、今もグラビアを続けているのは私だけ。当時のファンの方は、私がいちばん最初に消えるだろうと思っていて、まさか私が今もやっているなんて、と思っていそう(笑)」
今年で活動13年目、送り出したイメージDVDは実に40作品を数える。
「覚えているのが、20作目前後で沖縄に行った時。ベッドの上で思いっ切り跳びはねて胸を揺らしていたら‥‥『ブチッ!!』って」
なんと、Jカップバストを支えきれず、水着のヒモが切断されるというハプニング。「あの水着、頑張っていたんだなあ‥‥」と、いまさらながら目を細めて述懐する。
以来、胸の重さが気になり、自宅のキッチン量りに胸を乗せて測定を試したこともあったが、「難しい! 正確には量れない」んだとか。
「他にも、私は水着ではなくタンクトップが多かったのはよく覚えています。現場でスタッフさんが普通のタンクトップの脇の下部分を切り、乳房は大幅に見えつつもトップだけは見えない、という絶妙なバランスで仕上げるんです。あれは職人技でしたね」
そうしてメディアに“ソソる”グラビアを提供していた水樹。同時期にほしのあきや小倉優子らがグラビア界を盛り上げていたが──。
「デビューから数年たった頃でしょうか。徐々に雑誌の表紙がAKB系に取って代わられ、居場所のなさを感じるようになりました」
「グラビア冬の時代」の到来である。しかし、水樹は終わらなかった。13年、「有吉反省会」(日本テレビ系)に出演すると、その体型を有吉弘行から「土偶」とイジられたことで「ぽちゃドル」として再ブレイクするのだ。
「オイシイなと思いましたね(笑)。5年たった今でも『土偶ちゃんだよね』なんて言っていただけるくらい覚えてもらいやすくて、本当にありがたいです」
現在はダイエット中だが、胸はJカップをキープ。
「胸は最後まで落ちないタイプなんです。頑張って、胸は残してクビレを作っていきますよ!」