「最強アマ」の名をほしいままにした、ゴルフ界の超新星がついにプロデビュー。早くもツアー優勝を果たし、期待どおりの活躍を見せつけている。世界を目指す怪物は、いかにして誕生したのか。恩師たちが口を開いた。
「やっていけるという自信を持ちました」
松山英樹(21)がこう高らかに宣言してプロ転向を表明したのは、4月2日のことである。
まもなく、プロ初戦となった「東建ホームメイトカップ」で10位入りすると、2戦目の「つるやオープン」で最速優勝を成し遂げた。
連覇を目指した「中日クラウンズ」は惜しくも2位となったが、早くも賞金ランクトップとなるモンスターぶりを見せつけたのだ。
「中日Cでは3日目に5ボギー、1ダブルボギーと大叩きしたにもかかわらず、最終的には通算1アンダーの2位です。これからいくらでも勝ちそうな期待を抱かせますよね」(スポーツ紙デスク)
松山は180センチという日本人ゴルファーでは久々となる大型プレーヤーとして、アマ時代から数々の伝説を築いてきた。
東北福祉大1年時の10年に「アジアアマチュアゴルフ選手権」で日本人として初優勝。日本人アマとしては初めて「マスターズ」の出場権を獲得した。翌11年にも同選手権を連覇し、いずれもマスターズで予選通過を果たしている。
また、11年に「三井住友VISA太平洋マスターズ」を制したのも、アマでの日本ツアー優勝は、倉本昌弘(57)、石川遼(21)に次ぐ3人目の快挙だった。
結果を出し続ける松山のプレースタイルを「CLUB Gゴルフ道場」の北沢修プロはこう絶賛する。
「スイングの際、首の皮が破れるのじゃないかというほど、極限まで頭が残っています。これだけ残れば、インパクト後に腕が伸びるので、ヘッドの軌道が大きくなる。それが飛距離を生んでいるんです。頭を残すことでショットの正確性も日本人選手の中では群を抜いています。ゆったりとしたバックスイングからメリハリをつけて一気に切り返していくリズムによっても飛距離を延ばしていると思いますが、そのスピードは驚異的なものがあり、体力的にも充実していることを感じますね」
松山が若くして理想的なスイングを習得したのも練習のたまものであろう。
ゴルフ担当記者が言う。
「本人は『練習嫌い』などと口にしています。実際、中日Cでも大叩きした3日目こそラウンド後に練習していましたが、初日や2日目には終了するや即帰宅していたほどです。とはいえ彼の場合は、自分の努力を人に見せようとしないから、そうしているのだと思います。一方で、『高校時代にゴルフ漬けの日々だったのが大きかった』とも話していますからね」
松山の高校時代といえば、かつては横峯さくらも輩出した名門・明徳義塾ゴルフ部での寮生活に遡る。
中学2年時に編入してきた松山は、4歳の頃より父親からゴルフを教えられてきた片鱗を見せるように、アプローチやパターはすでに卓越したものを身につけていた。そして絶え間ない努力によって徐々に才能を開花させていったという。
当時の明徳義塾ゴルフ部監督・高橋章夫氏が語る。
「うちの中でも過去最高の練習量を誇っていましたね。皆が寝ている朝早くから1人だけ起きてランニング、打ち込みに取り組んでいた。昼休みも、練習が終わってからも、そして休みの日も自主練習。松山にくっついて一緒にやる子も出ましたが、途中からついていけなくなるんです」