現役続行か引退かについて「ハーフ、ハーフ」とした、女子フィギュアの浅田真央(24)は今季休養している。ところが、周囲が騒がしい。なんと実姉が2人の「不仲過去」を告白したのだ‥‥。
「一緒に競技をしているのに、(真央が)グググッて有名になってきて、精神的に傷ついちゃった」
11月4日に放送されたバラエティ番組「今夜くらべてみました」(日本テレビ系)で、元フィギュアスケート選手の浅田舞(26)がこう切り出したのだ。そして自身の20歳の頃だという金髪ショットを公開すると、
「エクステとかまつげもものすごいつけて、毎晩、クラブで遊んでいた」
と明かしたのだ。
浅田舞といえば、世界のトップアスリートとしてプレッシャーのかかる舞台に立つ妹を、影で優しく見守る美人の姉というイメージだった。それだけに、語られた過去とのギャップに衝撃を受けるばかりである。
さらには金色に染められた髪の毛で夜な夜な遊び歩くだけではなく、家出も繰り返していたと話し、
「漫画喫茶で泊まっていました」
と、赤裸々に白状した。
何より驚いたのは、当時の真央との関係について、「めちゃくちゃ仲悪かったです。全然しゃべらなかった」と公表したことだ。
その背景を探ると、舞の真央に対する複雑な感情があるという。
舞は世界ジュニア選手権に出場していた時代、今や真央の代名詞となったトリプル・アクセルも跳び、全盛期だった。が、16歳だった04年、全日本ジュニア選手権で、自身は2位、真央が1位となり、初めて妹に抜かれたのである。浅田家の知人が語る。
「当時の状況について、11年に亡くなった2人の母親・匡子さん(享年48)は生前に『私は一生忘れない。舞はその時、“スケートしたくない”って言ったのよ。それくらい、傷ついて‥‥』と話していましたね」
ちょうど真央がスターの階段を駆け上がっていった序章の時期だ。以後は、どの大会に出ても数年にわたって1位か2位とトップを走り、それまでは上にいた舞は逆に差をつけられていった。
フィギュア事情に詳しいスポーツライターが言う。
「05年から舞はタレント活動で新たな道を切り開きました。それでもフィギュアへの思いは断ち切れず、フィギュアに専念するため、06年から真央とともに拠点を米国に移すと、念願のGPシリーズにも出場できた。ただし、米国では食事面など体調管理が難しく、真央がジャンプの状態を崩してしまったこともあり、すでに“真央中心”だった浅田家はまた拠点を名古屋に戻したんです。彼女にとっては不本意だったかもしれない」
これは08年のこと。ちょうど、舞が「荒れていた」と告白した「20歳の頃」だ。翌シーズン以降、舞は競技に出場していない。
「匡子さんは常に舞ちゃんを心配しながら、亡くなる年には『真央はいつも、舞の後ろをついていた。これからも、姉妹で頼り合って生きてほしいの。舞は自分の道を勉強しているし、その道がよかったって思ってほしい』と話していました」(前出・浅田家の知人)
番組で舞が明かしたところによれば、一度、姉妹2人でじっくり話し合った結果、わだかまりは解消され、亡き母が願う仲のいい姿に戻ったという。
「どんな時期でも、舞は自分のこと以上に真央を大事にしてきた。だからこそ、姉の引退が聞こえてきた頃に真央も『舞がリンクを離れるなら、私が舞の分も頑張る』と思いを新たにしていたのでしょう」(前出・スポーツライター)
真央が「ハーフ、ハーフ」のどちらを選択しても、この姉妹愛は変わらないのだろう。