数々の冠番組を持ち、「なにわの視聴率王」の称号で君臨したたかじんだったが、本業の音楽にかける思いはいちずで純粋そのものだった。
「収録が始まる前にトイレに行ったら、用を足しながらたかじんさんが自分の曲を鼻歌で歌っていたのを目撃したことがあります。私が『やっぱりうまいですね』と言うと少しテレた様子で『自分には歌しかとりえがないですから』とボソッとつぶやいた姿が印象に残っています」(武田氏)
「東京」「さよならが言えるまで」などを手がけた作詞家の及川眠子氏も「歌手・たかじん」の素顔を明かす。
「私が見たたかじんは、繊細で小心者で優しい人ですよ。彼はものすごい深爪で爪をかむ癖がありました。私も同じ癖があるからわかるんですよ。すごい神経質っていうね。自分が歌いづらい言葉はあったみたいですね。『恥ずかしくてこんな言い方はしない』というケースもありました。例えば、私が『やわ肌』と書いた詞を『素肌』に変えていいか、と言ってきたり。でも、私は自分が書いた詞について、『嫌だったら歌わなくてよろしい』と言うわけですから、彼は『唯一、怖い女です』と言っていたそうです」
たかじんがガンに侵されたことを及川氏はテレビのニュースで知ったという。
「亡くなったあと、マネジャーに『東京(の病院)にいるんなら、知らせてくれればお見舞いに行ったのに』と言うと、『痩せ細っていた姿を見られたくないから、誰にも知らせなかったんです』と‥‥」(及川氏)
スタッフらとカラオケスナックなどに出かけた際には自身の曲を熱唱したというが、それは彼なりのテレ隠しだったのかもしれない。再び薬師寺氏が爆笑エピソードを明かす。
「正月に家族でハワイ旅行に行った時のことです。カラオケラウンジに立ち寄ったら、VIPルームからたかじんさんの曲が聞こえてきたんです。部屋をのぞいてみたら、たかじんさんがパンツ一丁になって熱唱している。『何でパンツ一丁なんですか』と聞いたら、『決まっとるやないけ、暑いからよ』って(笑)。『おい薬師寺、お前もパンツ一丁になってオレの歌を歌え』と、それで『東京』を歌い始めたら『下手くそ、もうええ。やめろ』。たかじんさんとのカラオケはいつもハチャメチャでしたね」
「たかじんNOマネー」(テレビ大阪)などに出演する経済ジャーナリストの須田慎一郎氏も、カラオケの思い出には事欠かない。
「10年ほど前に『たかじんのそこまで言って委員会』で共演したのが初対面。そこで挨拶をした際に思わず『たかじんさんの大ファンなんです』と告白したところ、興味なさげな顔をされたんです。よけいなことを言ってしまったのかなと気にしていたのですが、それから数カ月後、番組スタッフらと心斎橋近くのカラオケスナックに行くことになったんです」
そこでたかじんは「おい、須田。『大阪恋物語』は歌えるか」と聞いてきたという。
「『大阪恋物語』は難しい歌なので、まずは『ICHIZU』を歌ったのですが、たかじんさんはホステスと話し込んでいて聴いてるそぶりはない。さらに一巡して私が歌う番になったら、再度たかじんさんが『いいかげん、歌えよ』と言ってきたんです。私は観念して『大阪恋物語』を何とか歌い切り、『どうでしたか』と聞いてみると、『素人がオレの前で歌ったのは初めてやぞ』。さらに、たかじんさんは自分の胸をドンドン叩きながら、『ええか、須田。歌っていうもんはここで歌うんやぞ』と言ってくれたんです」
たかじんの死後、須田氏は関係者を通じ、「本音」を聞くことになる。「須田はオレの歌をよう知っとるんや」と目を細めて喜んでいた、と。