●ゲスト:萩本欽一(はぎもと・きんいち) 1941年生まれ、東京都出身。66年に坂上二郎とお笑いコンビ「コント55号」を結成、お茶の間の人気者に。71年には「スター誕生!」の司会を担当し、80年代には「欽ちゃん 良い子悪い子普通の子」「欽ちゃんのどこまでやるの!?」ほか人気番組を次々と手がけ、「視聴率100%男」の異名を取るまでに。以後も「欽ちゃん劇団」の主宰、「茨城ゴールデンゴールズ」の監督を務めるなど、さまざまな形で活動。そして今年4月に駒澤大学仏教学部に入学、大きな話題を呼んだ。近著は「ばんざい またね」(ポプラ社)。
コント55号、数々の人気バラエティ番組をプロデュースするなど、「日本の笑い」を大きく変えてきた稀代のコメディアン・萩本欽一が、久々に登場。まさかの大学生デビューの報に「なんでそうなるの?」とビックリの天才テリーに、楽しい学校生活のあれこれ、相方・坂上二郎との思い出を語り尽くした!
テリー 今74歳ですよね。この年で大学に入ろうと思ったのはどうしてですか。
萩本 ずっと続けていた明治座の公演が、去年で終わったんですよ。で、仕事が減って楽になったら、ボケが進んじゃうんじゃないかと思って、何か大変なことを足すことにしたんだ。それには、大学が一番じゃないかなと。
テリー 言うのは簡単ですけど、実際には大変ですよ。どうやって受験勉強したんですか。
萩本 河合塾に電話して、いい先生に自宅に来てもらったのよ。
テリー 欽ちゃんが予備校に来たら、騒ぎになっちゃうもんね。どんな科目を勉強しましたか。
萩本 英語だけ。あとは小論文と、面接は、まあ「こんにちは」って笑えば大丈夫だろうと思って(笑)。
テリー とはいえ、英語も難しいでしょう。
萩本 高校でもろくにやってないからね。特に熟語は覚えられませんでしたね。単語が3個ぐらい並ぶと、もう記憶に残らない。
テリー ああ、わかります。僕も全然覚えられない。
萩本 これはダメだっていうんで、僕専用の参考書を作ってもらったんだ。
テリー へぇ、どんな参考書ですか。
萩本 英語を全部日本語にしたの。「unfortunately」だったら、「あんこを4カ所からチュウチュウ吸って、あんこがなくなっちゃったらどんな気持ち?」って書いとくと、「残念な気持ち」ってすぐ出てくるのよ。こうやりだしたら、けっこう楽しい。笑いになるから。それで2カ月ぐらいでパーッと頭に入ったから、ちょっと様子を見に行くような気楽な気分で受けたら合格しちゃった。
テリー 試験は、一般の受験生と一緒に受けたんですよね? 周りの学生はびっくりしたでしょう。
萩本 もし落っこったらみっともないから、メガネとマスクをして、ずっと下向いてたよ(笑)。
テリー でも、入学式はさすがにマスクする必要はなかったんじゃないですか。
萩本 そうそう、堂々と。入学式の前、説明会が2時間ぐらいあって、僕、その時ずっとツッコミ入れてたの。「そういうことをすると留年というのがあります」「それ俺の話だよ~」とかブツブツ言ってたら、周りが笑うもんでうれしくなって続けてたら、隣にいた坊やが「欽ちゃん、言ってること理解してます? とりあえず今説明してるところのページだけは開きましょうよ」って(笑)。本を使って説明されてたのに、僕は本を開かずにいたの。これはもう職業病。誰かが話すと、必ずツッコミを入れてしまうという。
テリー ああ、なるほど。
萩本 学校って先生の話を聞きに行くところで、ツッコミを入れるところじゃないんだって反省しました。