一方、「秋の失速」と並ぶ阪神のシーズン終盤の風物詩といえば、監督交代を巡るドタバタである。自薦他薦の候補者が乱立し、関西のスポーツ紙はそれぞれの思惑を込めて「新聞辞令」を連発。だが、今年はそうした恒例のドタバタ劇がほとんどないまま、一気に決着を見た。
9月30日の球団取締役会で和田豊監督(53)の退任が決定。次期監督は超大物OBの金本知憲氏(47)に一本化して正式要請へと、トントン拍子で進んだのである。この時点でチームは2試合を残し、広島とのCS出場争いの最中。昨年、CSで巨人を蹴散らし日本シリーズ進出を決めたことを考えると、いささか段取りが早すぎるように思えるが、実は、そこには次期監督として金本氏が早い段階で「決まっていた」という事情がある。在阪のスポーツ紙デスクが証言する。
「昨オフ、和田監督の交代が球団内で真剣に議論されました。そこであがった後任候補の一人が金本氏だったのです。和田続投が決まると、金本氏に入閣を打診しました。次の監督を見据えた助監督、ヘッド格の打診で、同時に『次はお前だから準備をしておけ』という意向を伝えてあるんです」
昨オフの阪神は、和田監督の続投を巡って本社の方針が二転三転したが、結局2位に滑り込み、CSの本拠地開催権を得たことで、ギリギリでの留任となった。その過程で球団首脳は金本氏と何度か直接会談を持っており、コーチとしての入閣を要請したものの、金本氏は「まだ勉強が足りない」との理由で固辞。その際、「3年遊んだら十分やろ。来年は監督やから環境を整えておいてくれ」という「密約」とも取れる口約束が交わされたという。
「金本氏のテレビ解説は厳しい毒舌で有名でしたが、今年は辛辣な意見や批判が少なく、優しくなったともっぱらの評判でした。次期監督の手形をもらっていたので、ついつい遠慮が出たんでしょう。あまり叩いていると、自分が監督をやる時にやりにくくなりますからね」
とは、阪神の事情をよく知る関西メディア関係者の話だ。
9月23日に中村勝広GMが都内のホテルで突然死。事後処理のため東京から緊急帰阪した南信男球団社長が、翌24日に坂井信也オーナーと会談を持った。阪神は9月18日から始まっていた、優勝の行方を占う12連戦で巨人に連敗するなど、この時点で1勝5敗。優勝戦線から脱落していたため、坂井オーナーは和田監督の采配能力に見切りをつけ、退任と次期監督として予定どおり金本新監督実現で動くことが確認された。また、万が一の不測の事態が勃発して金本氏擁立に失敗した場合についても話し合っている。球団関係者が明かす。
「結局、監督人事を決めるのは坂井オーナーですが、世論や財界、他の取締役などの評判をすごく気にする。そこで、阪急阪神ホールディングスの中の阪急グループからの推しが強かった岡田彰布氏(57)、急逝した中村CMが強く推していた掛布雅之球団本部付育成&打撃コーディネーター(60)の名前が新聞紙上に躍ったわけです」