プロ入りの夢がかない、満面の笑顔。あるいは意中の球団には指名されず、表情を曇らせる。今年もまた、悲喜こもごもが渦巻くドラフト会議を迎え、水面下での駆け引きが展開。だが過去の歴史を振り返れば、その舞台裏では、決して公にはできない「黒い事件」が次々と起きていたのだ。
「本日、私、高橋由伸は、読売ジャイアンツを逆指名させていただきます」
97年11月4日、慶應大学(当時)の高橋由伸は厳しい表情でこう切り出した。入団したい球団をみずから選べる逆指名。本来、希望に満ちた喜ばしい場であるはずの会見場には重い空気が充満し、高橋の顔には悲壮感さえ漂っている。そして報道陣に巨人指名の理由を聞かれると、目に涙をためて数十秒間沈黙。言葉が出てこない。それもそのはず、9球団が争奪戦を繰り広げた天才スラッガーが本当に行きたかったのは、巨人ではなかったからだ。
「高橋は六大学で慣れ親しんだ神宮球場で活躍したい、と日頃から話していたのに、会見では『巨人は伝統あるチームで‥‥』などと言いだした。担当記者は、高橋がそれまでそんなことを言ったのを聞いたことがありませんでした」(スポーツ紙デスク)
前代未聞の「涙の逆指名会見」を演出したのは、相思相愛の関係にあったヤクルトへの入団を強制的に断念させられたことにあった。球界関係者が回想する。
「事実、ヤクルトには『逆指名します』と伝えていたし、それは野村克也監督の耳にも入っていた。当時スカウトだった片岡宏雄氏ももちろん、ヤクルトに来てくれるものだと思っていた」
逆指名会見前夜、高橋は千葉県内の実家で開かれた家族会議に出席し、最終結論について話し合った。前出・スポーツ紙デスクが言う。
「家族会議終了後に取材を受けてコメントをするというので、報道陣は皆、待っていました。ところが途中から雲行きが怪しくなってきた。ヤクルト逆指名の確認であればスンナリと終わるはずなのに、あまりにも長時間に及んでいる。これは何かモメているぞ、となったのです。結局、会議は約8時間、深夜3時頃まで続きました。どうやら父親の重衛氏に『家のために巨人に行ってくれ』と説得され、高橋が渋っていたということでした」
「家のために」とはいったい何か。「実は不動産業を営む重衛氏が、土地が焦げ付いて莫大な借金を抱えていた」と明かすのは、先の球界関係者である。
「その負債を巨人が肩代わりするとの“密約”があり、重衛氏は息子を説得して巨人に入団してもらわないと困る状況だったわけです」
だから逆指名会見で、高橋が声をしぼり出すように話した「自分の力を試すことができる、また、いちばん生かせるんじゃないかという自分の判断で、決めさせていただきました」との主張は、まるで事実と異なるものだったことになる。
当時の片岡スカウトは、のちに、その裏攻防をマスコミに暴露。長嶋茂雄監督が重衛氏に電話攻勢をかけていたこと、焦げ付いた不動産の総額が60億円にも上っていたことなどをバラしている。前出・スポーツ紙デスクが言う。
「12億円ずつ5年間かけて分割払いする話になっていた、と聞きました。巨人サイドが重衛氏に読売グループの仕事を発注するという名目での報酬だと‥‥」
運命を翻弄されながらも、巨人入団後、球界有数のスター選手となった高橋はあの時の選択を今、どう思っているのか‥‥。