ドラフトにまつわる事件において忘れてはならないのが、「球界の寝業師」の異名を取った根本陸夫氏の奇想天外な手法である。西武・管理部長時代の86年ドラフトで、森山良二を単独1位指名した一件は、球界に衝撃を与えた。スポーツ紙デスクが当時を振り返る。
「まったくリストに入っていない投手でした。ドラフト当日、スポニチだけが『西武 隠し玉』というタイトルで報じ、そこで初めて存在を知ったほど。所属は『ONOフーズ』という、誰も聞いたことのない企業でした。実は根本氏は野球部のないこの会社に森山を入社させ、表に出さないようにした。野球部がないから都市対抗戦に出たという話も聞きません。出たら注目されるでしょうからね。どうやら母校である福岡大附属大濠高のグラウンドでコッソリと練習させていたらしいんです。寝業師の実力をまざまざと見せつけられた事件でしたね」
その2年後、西武はNTT四国の渡辺智男を巡って騒動を起こす。
「ドラフト1カ月前に右肘を手術し、プロ入り拒否を宣言していましたが、西武が1位指名した。渡辺は『こんな手術をしてプロに行けるわけないでしょう、今年は』と話し、肘を見せてくれました。『ね、無理ですよ』と。見ると、ねずみ(遊離軟骨除去手術)だということなのに、20センチぐらいの長い傷痕がある。靭帯手術ぐらいの大きさで、かえって怪しいなと思いましたね。実は事前に、ただ肘を開いて縫っただけの“ニセ手術”ではないかとの情報があったんです」(スポーツライター)
この攪乱作戦を指揮したのはもちろん、根本氏。その後、渡辺は西武に入団するのだが、球界OBもこう言うのだ。
「指名後直ちに入団すると言えば出来レースだとバレる。西武は『ウチは肘が治るまで2、3年は体力作りをさせるから。潜在能力は問題ない』と説明していたけどね」
後年、ある関係者が渡辺本人にこの件について真相を尋ねたところ、「ヘヘヘヘ‥‥」と笑って、否定はしなかったという。
ケガの偽装工作といえば、80年に広島から1位指名を受けた川口和久にも当てはまる。球団関係者が言う。
「実は、川口は高校生の時に一度、ロッテに6位指名されて断っています。その後、社会人のデュプロに入った。広島はこの時まだ、上位指名するとは考えていませんでしたが、川口はこの社会人時代に開花し、一気に上位指名候補に躍り出ました」
そこで広島は、川口が他球団に指名される危険性を回避すべく、囲い込みの頭脳作戦に出ることに。球団関係者が畳みかける。
「担当スカウトが川口に1年間、『肘が痛い』と言い続けさせた。他球団にまんまとこれを信じ込ませ、単独指名に成功したのです」
当然ながら、肘痛はウソであるため、入団後のキャンプ、オープン戦でも堂々とした投球を披露。その後の活躍は周知のとおりである。
今年のドラフトは10月22日に開催される。前出・スポーツ紙デスクは言う。
「しかし、近年は裏ワザを使うスカウトがほとんどいなくなったな‥‥」