常に全日本のトップレスラーとして君臨し続けたハンセンにとって、印象深い日本人レスラーは他にも少なくない。「四天王プロレス」を確立したのちの全日本、プロレスリング・ノアのエースとして活躍した三沢光晴からは、精神的な強さを感じていた。
「(09年6月に)三沢が逝ってしまったのは、非常に残念だ。とても危険度の高い、恐ろしい技を食らっても立ち上がって、向かっていこうという姿勢があったから、そうなってしまった。だが、それがプロレスなのだ。プロレスとは、そういうものなのだ」
常にトップにこだわり続けたハンセンは、三沢にトップのポジションを譲るつもりはなかった。何度も叩き潰すが、それでも三沢ははい上がり、92年8月の三冠王者戦でついにシングルでハンセンから初勝利を奪った。三沢とは、その後も激闘を続けたライバルでもあった。過去の死闘の裏側をハンセン自身が初めて明かした。
「お客さんが気づいていたかはわからないが、三沢のエルボーは、耳の後ろあたりに入れてくる。そこをわざと狙ってきた。耳の後ろは、非常に危ない個所なのだ。そういう急所に入れられたりしたら、当然、やり返さなきゃいけない。それがリングの常識だ」
今回の来日でハンセンは、現役時代に数々の激闘を演じた天龍源一郎の引退セレモニーにも参加した。ハンセンにとって天龍は日本人の対戦相手としてベストであり、激しくやり合ったが、心からリスペクトしている存在だった。
「天龍とは、若手時代にアメリカで一緒の車で会場へ行ったことから始まって、控え室まで追っかけ合って大喧嘩したり、実質的な最後の対戦相手だったりと、不思議な縁を感じずにはいられない。タッグを組んだこともあった。通常は、試合前に作戦の打ち合わせをするものなのだ。『向こうが、これできたらどうする?』とか。だが、私たちの場合、試合前の作戦など無意味だった。なぜなら、私も天龍も自分が何をしでかすか、まったく予測不可能だから。だからリアルなアクションが起きる。それに対して、リアルな反応が返ってくる。もう、それだけだ。自分たちはそういうスタイルでやっていた」
プロレス人生を完全燃焼し、引退後も最高の日々を送っていると語るハンセンが、最後にこんなメッセージを送ってくれた。
「引退して15年という歳月がたっても、ファンが自分のことを覚えていてくれるのはとても光栄なことだ。本には、引退後の人生で経験したこと、引退した今だから落ち着いて話せることを書き連ねた。私の考え方がベストだとは言わないが、希望を持つ後押しになるような言葉を一つでも感じていただけたら幸いだ」
ハンセンのロングホーンは、今でもファンの胸にこだまする。