72年に香港からやって来たアグネス・チャン(60)は、あっという間にトップアイドルに成長。デビュー年度に出場することは難しいとされる「紅白」の切符も手に入れた。
── 香港にいた頃、紅白の価値は知っていました?
アグネス 日本の芸能界のことは何も知らなかったんですよ。私、デビュー曲の「ひなげしの花」の発売が72年の11月25日で、新人賞は73年度になるんです。来日直後の72年の大みそかに、日本で初めて紅白を観ました。
── どんな印象でした?
アグネス 渡辺プロ・渡辺晋社長のお宅に居候していたんです。紅白が終わると新年会が始まって、私は眠い目をこすって待っていました(笑)。天地真理さん、小柳ルミ子さん、森進一さん、ザ・ピーナッツさん、布施明さん、沢田研二さん‥‥大スターの方々と初めて顔合わせしました。
── まさしく全盛期のナベプロ帝国ですね。
アグネス そこで皆さんに紹介されて、社長に「お前も頑張れば皆のように紅白に出られるから」って言われて。なぜかその場は大爆笑になっていました。
── それを聞いて「紅白が目標!」という感じになりましたか?
アグネス とんでもない、1曲目が売れるかどうかもわからないんですから。
── とはいえ「ひなげしの花」が32万枚、勝負曲の「草原の輝き」が44万枚、4枚目の「小さな恋の物語」が58万枚と、73年組では圧倒的なセールス。桜田淳子や山口百恵にも大差をつけています。
アグネス 新人賞レースの幕開けとして10月に「新宿音楽祭」があったんです。これを獲ったら、アグネスは日本の歌手として認められるよと言われました。幸い、金賞を私と八代亜紀さんで受賞しまして、その後の「日本歌謡大賞」も「日本レコード大賞」もノミネートされました。
── 歌謡大賞は桜田淳子と並んで最優秀新人賞、ところがレコ大では下馬評を覆して淳子がグランプリ。まさかという気持ちはありましたか?
アグネス 実は‥‥本番の前にわかっていたんです。マネージャーの人に「歌謡大賞は2人だから獲れた。だけどレコ大は無理だ」と言われて。人がたくさんいましたが、私、「どうしてです?」と声を荒らげたかもしれない。マネージャーは申し訳なさそうに「大人の事情があるんだ。だけど会社は紅白に全力を入れているから」と言ってもらえました。
── 新人賞を獲るよりも、初年度に紅白出場を決めるほうが難関です。
アグネス はい、さらに紅白出場が決まったら、香港の両親と姉も日本に呼んであげると言われて。だから私も気持ちを切り替えて、レコ大の中継が終わったらNHKホールに意識を向けていました。
── 初出場の緊張感はありましたか?
アグネス 若いから重みがよくわかっていなくて、そこまで緊張しなかったかもしれません。当時はビデオデッキもなく、つい最近ですよ、YouTubeで観て「こんな声してたんだ」と新鮮に思えたのは。
── さて、そんなアイドルも60歳を迎えました。心境の変化はありましたか?
アグネス あります! 私、ここ何年も限られた歌しか歌ってこなかったんですよ。でも、皆さんが聴きたい曲がたくさんあるということに素直になろうと思いました。当時のアレンジそのままにヒット曲をたくさん歌いたいし、もし紅白からオファーが来たら、喜んで出させていただきたいです。