こんな親方衆の不満をくむかのように、稀勢の里は日頃の稽古場でも「アンチ白鵬」の姿勢を隠さない。
スポーツ紙記者が言う。
「横綱審議委員会の稽古総見や巡業の稽古の前には、幕内力士たちは白鵬のもとへ水をつけに行く。これから稽古をつけてもらう下位力士の礼儀みたいなものですが、稀勢の里だけは黙々と四股を踏み、水をつけに行かない。白鵬に対する意地があるんですよ。どこか、青森出身の師匠・鳴戸親方の“じょっぱり(意地っ張り)精神”に通じるものを感じさせます」
現役時代の鳴戸親方は病を克服して、30歳11カ月で横綱に昇進した。その努力と忍耐力を評して、ファンからは「おしん横綱」と愛された。別の相撲関係者が言う。
「あれはどこの場所だったか、本場所の支度部屋に東の正横綱・隆の里と張出横綱の北の湖がいた。黙々と準備運動を重ね、汗をびっしょりかいていた隆の里は暑いから窓を開けるように下の力士に命じた。一方の北の湖は泰然自若として『寒いから開けるな』と。その時、隆の里は聞こえよがしに、『今は俺のほうが地位は上だぞ』と言ったのが印象的でした」
隆の里は、力士として先輩である北の湖に対して一歩も引かずに“じょっぱり”を貫いた。元力士が言う。
「稀勢の里はいい意味で隆の里の志を継いでいます。稽古前には、力士として白鵬に水をつけに行くのがしきたりかもしれないが、あえてそれを拒否する意志の強さは、まさに師匠譲りですよ」
そんな“遺恨”もあって、夏場所で奮起の相撲を見せた稀勢の里は、無敗のまま13日目に白鵬と対戦。全勝同士の大一番は手に汗握る名勝負となった。
立ち合いから稀勢の里が左四つの形をつくり、白鵬を攻めたてる。土俵際まで追い詰めたが、白鵬はこれを残し、最後には下手投げで稀勢の里を下したのだった。前出・スポーツ紙記者が解説する。
「勢いは稀勢の里にあった。しかし、白鵬は左を差して寄りたてる稀勢の里の攻めを懸命にこらえた。これまで歴戦をくぐり抜けてきた白鵬の貫録勝ちでした」
この惜敗で優勝を逃した稀勢の里だが、まだ綱取りの可能性は残されている。
「古い例ですが、横綱・双羽黒は優勝経験がなくても86年の夏場所で12勝3敗、次の場所で14勝1敗という成績で昇進している。しかもいずれの場所でも、当時横綱に君臨した千代の富士に敗れている。稀勢の里に関しては、実績はもちろん、人気も申し分ない。“立場が人を作る”ということもある。何よりも、日本人横綱の育成は相撲協会の急務ではないでしょうか」(相撲関係者)
天国にいる師匠も、“横綱・稀勢の里”の誕生を待ちわびているに違いない。