全身に不機嫌さをまとわせ、相手が格上だろうと関係なくケンカ腰の目線を送る──。70年代の東映ヤクザ路線において、渡瀬恒彦が放つピリピリしたムードは、極辛のスパイスそのものだった。それが演技なのか、それとも素地なのかわからない緊迫感こそ、渡瀬が凡百の役者と違う「一流の証し」であった。
「たまたま映画館に入って、正直、こんなにヘタな役者もおらんなあと思ったよ」
川谷拓三や室田日出男と同じく、東映の大部屋俳優で結成された「ピラニア軍団」の一員・成瀬正孝が言う。成瀬は、役者になった直後に偶然、渡瀬恒彦(72)の第1作「殺し屋人別帳」(70年、東映)を観た。
渡瀬は、すでに大スターだった兄・渡哲也と違い、いったんは電通PRに就職。それでも、石井輝男監督を筆頭に、東映の熱烈な勧誘を受けて役者となった。共演の多かった成瀬は以来、渡瀬と40年以上の親交を重ねている。
成瀬は今年6月、人気シリーズの「おみやさんSP」(10月15日放送、テレビ朝日系)を撮っていた渡瀬の陣中見舞いに訪れた。
「渡瀬さんに『調子はどうですか?』って聞いたら、隠さずに『よくない』と答えたよ。それでも、俺たちを連れてメシに行くのが渡瀬さんなんだ」
渡瀬は昨年の秋、体調不良から検査を受け、胆のうガンであることが発覚。撮影現場では一切そのことを明かさず、看板ドラマ「警視庁捜査一課9係」(テレ朝系)の収録に臨む。撮影が始まれば、個人のグチなど挟まない。それが、デビュー以来変わらぬ渡瀬の“流儀”である。
成瀬は、渡瀬主演のドラマ「塀の中の懲りない面々」(87~90年、TBS系)に刑事役で出演した時のことを思い出した。
「俺が渡瀬さんを取り押さえる場面で、柔道の技を使って投げつけたんだよ。俺は柔道二段だから渡瀬さんは体を打って息が詰まる状態になったんだけど、それでも怒らずに『芝居のことなんだから気にするな』と言ってくれる人なんだよ」
渡瀬が東映の中で存在感を発揮し、成瀬らが「ピラニア軍団」を結成するに至ったのが、あの傑作「仁義なき戦い」(73年)である。渡瀬は山守組の若頭・坂井鉄也(松方弘樹)に反目する有田俊雄を演じている。シャブの売買を巡って有田が坂井に叱責される場面では、役者としての渡瀬自身を重ねたセリフを吐く。
〈やれんのう! わいらのやること、いちいちケチつけられたんじゃよう!〉
筆者は13年、渡瀬から当時のポジションを聞いたことがある。
「撮影所はキャリアの段差が何層にもなっています。第一に菅原文太さんや成田三樹夫さんのグループ。その下に松方弘樹さんのグループ。さらにその下に僕のグループがあって、何とかのし上がりたいと思っている連中ばかり」
後述するが、格下を見下したり、格上に媚びを売るということが皆無な役者は、渡瀬をおいてほかにない。これに大学時代は空手二段という腕前も手伝い、たびたび「芸能界ケンカ最強説」が流れる。
成瀬は、そんな伝説を裏づける現場に遭遇した。
「文太さんの酒グセの悪さは有名で、これに怒った渡瀬さんが『お前、帰れ!』と一喝。さらに『ただし、先輩なんだから金は置いてけよ』と財布を出させていたね」
東映名物の“波しぶき”にも似た荒々しさである。