79年1月26日の午後、大阪市の三菱銀行北畠支店に猟銃をもった男が押し入ったのが“悪夢”の発端だった。犯人は梅川昭美(うめかわあきよし)。ナイトクラブの従業員で、かさんだ借金の返済が犯行の動機だった。
銀行に押し入った梅川はカウンターにいた行員に袋を突き出し「これに金を入れろ」というと、銃を数発天井に向けて威嚇発射した。客や行員の悲鳴が飛び交うなか、ひとりの行員が110番すると、すかさず射殺(第1の死者)。当初は金を奪ったら逃走するつもりだったが、銀行から逃げ出した客が警官に事件を告げたため、その警官が店内に急行した。拳銃を構え、「銃を捨てろ」といって威嚇射撃をすると、梅川は即座にその警官を射殺している(第2の死者)。さらに、警官ふたりが駆けつけてくると、彼らに向かっても発砲。ひとりは防弾チョッキのために難を逃れたが、もうひとりの巡査は死亡した(第3の死者)。
その後、銀行が包囲されたため、梅川は行員や客を人質にとって籠城を決め込んだ。しかも人質たちが逃げられないよう、男女とも裸になることを命じたのである。そして、支店長を見つけ出すと、「こうなったのはおまえのせいや」といって射殺している(第4の死者)。
落ち着いている年輩の行員に目をつけると「なまいきや」といって、また発砲。反射的に身をかわしたため、致命傷を逃れた行員は死んだふりをしていると、梅川は別の行員にナイフを渡し、「とどめを刺せ」と命じている。その行員が機転をきかせ、「死んでます」と答えると、「だったら、耳を切り落とせ」と命じる。行員は小声で「スミマセン」といいながら耳の上半分を切り落としている。
こんな立て籠もりが26日から28日まで、3日間も続いた。
その間に、梅川の身元が判明、母親と叔父が説得にやってきたり、人質行員を使って借金の返済に行かせたり(もちろん、必ず戻ることを命じている)というひと幕もあった。
一方、警察のほうも地下の金庫室に侵入し、ATMの陰から中の様子を見られるようにしている。そうして態勢を整えた後、特殊部隊SATのメンバー7人が機会をうかがい、28日の午前9時前、突入すると、梅川の頭から胸を狙って銃撃。梅川はその後搬送された病院で死亡した。
この事件の結末に関しては、3月29日号が詳しく報じている。
〈午前8時41分──。
ちらりと梅川昭美は新聞から目をあげ、バリケード代りのキャビネットに黒い頭がのぞいているのをみて愕然とした。
彼があわてて右手の拳銃でこの黒い頭を狙い撃とうとした瞬間、拳銃の閃光がひらめき、梅川昭美は首を撃たれた。
狙撃班は合計8弾を撃った。命中したのは3弾。1弾は頭、1弾は首、1弾は同じく首から肩に命中していた。
狙撃班が必中のライフル銃を使わなかったのは、ライフルは威力がありすぎるので、はね弾で人質に傷をあたえるおそれがあったからである。(中略)
だが、この男はヒューッという呼吸をしていた。
「まだ生きている!」
担架で梅川昭美は救急車に運び込まれ、大阪警察病院で手当をうけたが、この日の午後5時43分、ついに死亡した〉
2月19日号の8ページにわたる総力特集は、事件の一部始終を見取図入りで伝えているが、なかにはこんなくだりもある。
〈全裸の女子行員たちに、彼は無表情にこう命令した。
「よーし、みんな股を開け」
「閉じろ」
「開け、もっと開くんや」(中略)
梅川の命令は、さらにエスカレートしていった。
「机の上に正座するんや」
「こんどは四つん這いになれ」〉
サディズムのかぎりを尽くした地獄絵図が繰り広げられたのであった。
同号の記事でもうひとつ驚かされるのは、事件解決翌日の29日から店舗2階で業務を再開していることだ。行員たちの心的キズ(トラウマ)などお構いなしに営業に邁進した“ナニワ商人”のエゲツさには当時の捜査員たちも呆れていた。
ついでに記しておけば──当時、「梅川の愛人はなんと、あの鳴海清の元愛人だった」という説が流れたが、その真偽は確かではなかった。おそらくいまも、この情報はナゾに閉ざされたままであろう。