飯塚氏が確信を強める一方で、事態は逆に沈静化へと進む。一部の政治家や識者からは、拉致を「捏造」とする声すら上がった。
朝日放送でプロデューサーだった95年に、ドキュメンタリー番組「闇の波濤から」を手がけたジャーナリストの石高健次氏も、拉致問題に懐疑的な世間の空気を感じていた。
「80年の原敕晁(ただあき)さん拉致の実行犯の一員である金吉旭(キムウルスク)が、仮釈放されて韓国・済州島にいることをつかみ、直撃しました。『原さんにはすまないことをした』と号泣する彼を見て、拉致が本当にあったのだと確信しました。ですが、実行犯がメディアに出て罪を認めた初めてのケースなのに、ほとんど黙殺された。当時は北朝鮮に対して、『万民が平等な社会主義の建設を目指して、貧しいながらもみんなそれなりに幸せに暮らしている国』というのが一般の認識で、『拉致など信じられない』という声が大半でした」
しかしこの番組が、事態を打開するきっかけとなる。石高氏いわく「唯一と言える反響」が、番組内容をもとにした書籍の執筆依頼だった。石高氏はさらに取材を重ね、翌96年9月に「金正日の拉致指令」(朝日新聞社)を上梓する。
「この取材の過程で、韓国の情報機関高官から、『77年頃に当時13歳の少女が拉致されている』という情報を得ました。ただ、名前も連れ去られた場所もわからない。当時の風潮を考えた時に、あまりに荒唐無稽な話だったので、本に書くと他の拉致事件についての信憑性も薄れると判断し、書籍への掲載は見送ったんです」(前出・石高氏)
刊行後には、月刊誌「現代コリア」(現代コリア研究所)からコンタクトがあり、同誌(96年10月号)に寄稿する運びとなった。
「何か新しい情報が寄せられるのを期待して、同誌にこの少女の拉致についての記事を書きました。そののちの12月に、同誌の発行人が新潟市で講演をされたのですが、懇親会の席でこの少女の記事を紹介したところ、出席していた新潟県警の幹部から『それは横田めぐみさんだ!』という声が上がったのです」(前出・石高氏)
実在するかどうかもわからない13歳の少女が、「横田めぐみ」という名前を取り戻した瞬間だった。これを契機に、日本人拉致の事実が一気に知れ渡る。