そんないきさつもあって、初めて重賞を勝った日のことはよく覚えています。
昭和55年5月1日の浦和競馬場。アラブのエリモミサキという馬がダート2000メートルの「シルバーカップ」で、ハナ差で勝ってくれたんです。騎乗してくれたのが川島正行さん。プライベートでもいいおつきあいをさせていただいて、
「俺、先生の馬で絶対に重賞を勝つから」
ずっとこう言い続けてくれていたから、よけいにうれしくてね。
重賞を勝つと、馬場で記念撮影と表彰式があるんですよ。でも、あいにくその日はドシャ降りの大雨。しかも、張り切って新品の革靴を履いていったもんだから、「しまった~」ってね(笑)。靴の中まで泥まみれのグチャグチャになったのも、いい思い出ですよ。
中央競馬で重賞を勝ったのは、それからだいぶあとですね。キタサンチャンネルという馬が平成13年の「ニュージーランドトロフィー」(GII)を勝ち、同じ年に、キタサンヒボタンが「ファンタジーステークス」(GIII)を勝ってくれました。
キタサンブラックとの出会いは、北海道の日高でした。施設が整った大牧場で生まれた超良血馬もいいけれど、たとえ小さな牧場でも、みんな我が子のように手塩にかけて仔馬たちを育てています。長年そうした姿を見てきたこともあって、私はずっと顔なじみの牧場で馬を買い続けているんです。
購入の決め手は、黒々としてキリッとした眼。昔、元騎手の加賀武見さんに「馬は眼がよくなくちゃいけない」と言われたのをずっと覚えていて、「これだ!」って。ほとんど直感ですよ。
仔馬の時は、まさかここまで走るとは思いませんでした(笑)。デビューも遅くて、他の馬が6月くらいから新馬戦で走っているのに、キタサンブラックは翌年1月のデビューですからね。
しかも関西馬なのに、調教師の清水(久詞)君が、「(デビュー)は東京の府中でいきたい。広くて距離も長いほうがいい」と言うんですね。でも、「スプリンターズS」を連覇したサクラバクシンオーの血を引いていることもあって「短いほうがいいんじゃないの?」と聞き返したら「長いほうがいい」と。騎手は後藤(浩輝)君にお願いしたら快く受けてくれて、私としてはもう「おふたりに任せます」という心境でした。そうしたら、新馬戦からあれよあれよと3連勝して「皐月賞」に挑戦ですよ。結果は3着でしたが、「どんどん変わってきたな。強くなってきたな」という印象を受けましたね。
2年前に北村(宏司)君がみごとに勝ってくれた「菊花賞」を皮切りに、GIで6勝してくれましたが、実はいちばん印象深いのは「ダービー」なんです。ダービーといえば、3歳馬しか出られないクラシックレースの最高峰ですよ。
年間7000頭近く産まれる中で、ゲートに入れるのはたった18頭。このレースに参加できるだけでたいへんな栄誉ですよ。ハイペースでタフな競馬になり、結果は14着。でもレース後は息も上がらずにケロッとしていて、「この馬は心臓が強いんだな。やっぱり長距離でいいんだ」とつくづく感じたものです。血統面から「やはり距離が長すぎた」なんて言う専門家もいましたが、私は調教師の見立てを信じてましたし、何より自分の子供ですからね。「わかってねぇな」と心の中で反論していましたよ(笑)。
北島三郎(きたじまさぶろう) 1936年10月4日生まれ。北海道出身。演歌ひとすじ56年。長年にわたる座長公演や時代劇にも出演し、役者としても活躍。文化人として国際交流に貢献し、昨年4月には旭日小綬章を受章した。