でも、大きなレースをどんどん勝っていくうちに、キタサンブラックがだんだん自分の子供じゃなくなっていく気がしてきたんです。私自身、「有名になるまで絶対に戻らない」という強い意志を抱いて北海道から上京して、おかげさまでヒット曲を出すことができて、テレビにも出させていただきました。それで、ある時におふくろとインタビューを受ける機会があったのですが、そこでおふくろがこう言ったんです。
「息子が歌手になってうれしい。だけど自分の子供じゃなくなってしまったような気分なんですよ」
もちろん血のつながった親子ではあるけれど、「息子の大野穣(本名)」ではなくて、「皆さんの北島三郎」なんだと。私がキタサンブラックに抱く気持ちも、まさにそうなんです。競馬場でファンの皆さんの声援を受けて走っているのを見て、
「これはもう私だけの馬じゃない。ファンの皆さんに育てていただいたんだ」
こんな気持ちがこみ上げてくるんですよ。
そんなキタサンブラックは「神様からの贈り物」なんじゃないかと思うことがあるんです。というのも、2年ほど前に体調を崩して、それからずっとリハビリを続けていたんです。そんな時に大きな夢を与えてくれたのが“彼”でした。
「ずっと頑張ってきたんだから少し休みなよ。その間は、代わりに僕が頑張るから」
こんな声をかけてくれているようで、今では感謝の気持ちしかありません。
歌手・北島三郎としては、50回目の出場となる「紅白歌合戦」で一区切りさせていただき、46年にわたって続けた「座長公演」を4578回で幕引きをさせていただきました。
「長い間ご苦労様でした。終わりましたね」
こんなねぎらいの言葉を皆さんからいただきましたが、私はいつもこう答えていました。
「はい、終わりです。でもまた明日からが始まりなんです」
有馬記念で引退するキタサンブラックも同じです。競走馬としては現役を終えますが、同時に、そこから種牡馬としてスタートを迎えるわけです。数年後には競馬場で彼の仔たちに会えると思うと、今から楽しみでなりません。
キタサンブラックも北島三郎も、北海道ではまったくの無名でした(笑)。それが津軽海峡を渡って、がむしゃらに夢を追いかけ、一本道を走り続けてここまで来たんです。彼は5歳。そして私は81歳になりましたが、これからも愛馬たちと皆さんに夢と感動を届けたいと思います。
自身の新曲「男の夢」の歌詞にある「夢を追いかけ俺は行く 人生試練の男道」という一節になぞらえて、
「日々修業の歌手に完成というゴールはない」
とも語っていた北島。来年2月には、大阪・新歌舞伎座でコンサート「オンステージ2018 歌と共に…」が幕を開ける。
北島三郎(きたじまさぶろう) 1936年10月4日生まれ。北海道出身。演歌ひとすじ56年。長年にわたる座長公演や時代劇にも出演し、役者としても活躍。文化人として国際交流に貢献し、昨年4月には旭日小綬章を受章した。