日本初の本格パニック映画として公開された「日本沈没」(73年、東宝)は、空前の大ヒットを記録。主演の藤岡弘、は、俳優生活50年を振り返って本作を「忘れられない一編」と熱く語る──。
「丹波哲郎さんや二谷英明さん、小林桂樹さんなど大先輩の方々が存在感を発揮される。じゃあ、いちばん若い自分はどう演じるのか? 知ったつもりのような芝居をしてちゃダメだし、画面に叩きつけるようにエネルギーを振りしぼるしかないと思ったんです」
藤岡が演じたのは、深海調査艇「わだつみ」の操艇者・小野寺俊夫だ。地球物理学者の田所雄介博士と行動を共にするうち、日本列島が近い将来、海底に沈んでしまうことを知る。
象徴的なのは、大阪の繁華街をふらつきながら、道行く人々に向かって胸のうちでつぶやくシーンだ。
〈来年になったら春は来るだろう。だけど夏はわからん、秋はもっともっとわからん。みんな逃げろ、早く逃げろ!〉
そして日本国民を海外に移住させる「D2計画」が始まりを告げる‥‥。
71年に始まった「仮面ライダー」(MBS系)の本郷猛役でスターダムを駆け上がっていたが、緊張感は別モノだった。
「すでに原作はベストセラーになっていて、これは衝撃作だと思いましたね。クランクインを前に地震学の先生に話を聞きに行ったりしましたが、知れば知るほど、あまりにもリアルな内容だった」
特撮に定評のある東宝とはいえ、現在のようにCGなどない時代。俳優たちも命がけの撮影が続く。
そして藤岡が「眠れないほどの緊張感」を味わったのが、後半のクライマックスである「富士山大噴火」の場面だ。恋人の玲子(いしだあゆみ)とともに、スイス・ジュネーブへの移住を決めたやさきだった。
羽田空港へ向かうはずの玲子は、小田原を目前にした真鶴で噴火に巻き込まれ、公衆電話から小野寺にそのことを伝える。
「絶対に失敗は許されないピリピリした状況。撮影スタッフと何度も話し合い、不安と緊張感を抱えながら本番に臨んだ。その生々しさが画面に出たと思います」
玲子は、自分は諦めるから小野寺1人でジュネーブに向かうよう告げる。これに小野寺は受話器に向かって絶叫する。
藤岡にとっても、50年の俳優生活でベストワンの名セリフだけに、インタビュー中に身を乗り出して再現してくれた。
〈逃げろ! 歩いてでも這ってでも小田原へ!〉
映画自体はタイトルが示すように、日本が未曾有の危機を迎えるパニック描写が主題。そこに小野寺と玲子の“究極の愛”が深みを与えている。
噴火に巻き込まれた人々は富士山から遠い方向へ歩き続けるが、小野寺は玲子を探すため、噴煙の中へと逆走する。
〈俺には探さなきゃいけない人がいる。その人を見つけ出すまで俺は日本から離れんぞ!〉
2人が劇中で再会することはなかったものの、藤岡は映画の余韻を大きく変えたと確信する。
「小野寺と玲子は、沈没後の日本にとっての『アダムとイブ』だったと思う。日本が沈んで、1億人が海外でバラバラになりながら、クレジットされた『地球のどこかで‥‥』という希望を残した」
藤岡自身が役者としての真摯な生き方をまったく変えていないのも、27歳で出会った傑作があればこそである。