つい先日も線路内に立ち入ってお目玉を食らった80年代アイドルがいたが、70年代から90年代まで、こんな話があるのをご存じだろうか。
アイドル評論家の織田祐二氏が、今は国会議員として活躍する三原じゅん子のアイドル時代を振り返る。
「明大中野高校の定時制を、入学からわずか2日で退学しています」
あの「3年B組金八先生」(TBS系)での「顔はやめな、ボディボディ」の名セリフを再現するようなヤンキー伝説ではなかろうか。
ある意味、その流れを受け継ぐのが小泉今日子で、リリー・フランキーがこう評していた。
「代官山には小泉今日子が落ちている時がある」
酒豪で知られる小泉だが、リミッターが外れた時の泥酔ぶりもまた有名。自宅の一歩手前で寝ていた目撃例も多いが、リリーが見たのは、代官山の坂を登り切れずに転げ落ちている姿だったという。
逆に、動いているものを止めてしまったのが松田聖子だ。伝説の歌番組「ザ・ベストテン」(TBS系)に初ランクインした80年、飛行機で空港に到着した聖子が、タラップを降りながら歌うという演出。ところが、出番よりも早く飛行機が到着しそうになった。
「その飛行機、空中で止めてもらえませんかね?」
番組プロデューサーが航空会社にお願いし、偶然か、それとも聞き入れたのか、当初の予定時刻に戻ったというから聖子の強運がうかがい知れよう。
聖子と同じ80年デビューの柏原芳恵は、週刊アサヒ芸能のテリー対談でこんなことを口にした。
「ゴミ出しというものを1度もしたことがありません」
何たるお嬢さまだろうか。ちなみに柏原は、デートの待ち合わせにも1人で行ったことがないそうだ。
さて現在、バラエティで再ブレイク中の森昌子は、かつて「アグネス・チャンの影武者を務めたことがある」という。いったい、どういうこと?
「ものまねじゃなく普通の歌番組で、アグネスと2人でイタズラをやろうという話になりまして。アグネスの歌の番の時に、私がマイクを持って隠れていて、アグネスは口パクで、私が代わりにフルコーラス歌いました」
誰にも気づかれず、あとでスタッフに打ち明けたら怒られるどころか、その完成度の高さを絶賛されたそうだ。そんな森昌子の1年後にデビューした浅田美代子は、アイドルになったきっかけがすごい。
〈街を歩いていて、西城秀樹にスカウトされた〉
秀樹のアイドルを見る目には定評があり、のちに河合奈保子や石川秀美も世に送り出すが、その原点が「街で見かけた浅田美代子」だったとは。
70年代から80年代にかけての、アイドルの登竜門といえば「スター誕生!」(日テレ系)だが、その予選でやらかしたのが中森明菜。ある審査員と「テレビ中継があるのに大ゲンカ」している。
「あなた、顔が幼いから童謡でも歌ったら?」
声楽家の松田トシがキツいジャブを放つ。
「でも『スタ誕』で童謡は受けつけてくれないんじゃないですか?」
堂々と反論したのが、まだ16歳の明菜だった。
再び70年代に戻ると、アイドルグループとして頂上決戦をしていたのがキャンディーズとピンク・レディーだ。前出の織田氏は、キャンディーズの隠れた伝説を見つけた。
〈解散コンサートで顔に紙テープが当たりまくり〉
どういうことか?
「映像を見ると、後楽園球場の四方八方から飛んで来たテープが顔に直撃していて、かなり痛いはずなのに平然と歌っているプロ根性に感動します」
ピンク・レディーは、いたってシンプルだが「ピーク時にベッドで寝たことがない」というもの。いつも明け方に帰って来ては、寮のコタツでガウンだけ羽織って仮眠を取り、また現場に向かうという過酷な環境だったと後輩タレントが証言する。
そして90年代は「モーニング娘。」が台頭するが、こんな奇跡があった。
「第1期メンバーの安倍なつみと飯田圭織は、同じ室蘭の病院にて2日違いで産まれた」(前出・織田氏)
まるで大映ドラマのような物語性だ。その後輩の松浦亜弥は「原付免許の筆記試験に17回落ちた」という話がキョーレツ。
最後は70年代アイドルの元祖の1人である小柳ルミ子だが、ここにきて新たな伝説を築いている。
「ブラジルW杯は全64試合を視聴した」
本人が豪語したものだが、今やサッカーファンの間でもルミ子の知識は高く評価されている。