北海道・夕張の町からやって来た双子の姉妹は、ザ・ピーナッツの後継者として華々しくデビューした。75年のことである。姉・燕奈緒美、妹・燕真由美は、デビュー40周年の今も再びザ・リリーズの歌を届けている。
──近年は「同窓会コンサート」という多くの70年代歌手が集合するライブに参加していますね。
奈緒美 年間で90カ所、昼夜2回ですから180公演になることもあります。
真由美 よくご一緒する尾藤イサオさんは私たちの顔をジーッと見て「うん、こっちが姉で、こっちが妹だ」と、いつも間違えずに言ってくれます。
──14歳でデビューした2人が、休止期間はあったにせよ、40周年を迎えたことは驚きです。
真由美 最近のライブのMCで「デビューした時は14歳でした」と言うんです。
奈緒美 で、「それが今では2人合わせて108歳です」と。会場が必ずザワザワとどよめきますね。
──数字だけ聞くと一瞬、ビックリしますよね(笑)。さてデビューした75年、その前年に同じ渡辺プロの大先輩であるザ・ピーナッツが引退。会社としても新たな双子の歌手の売り出しに積極的だったのでは?
奈緒美 確かに通常は新人にマネージャーは1人ですけど、私たちはチーフマネや音楽出版の人もいて、いつも3人のスタッフがついてくれました。
──地方から出て来たばかりで、まだ14歳ですから、ボディガード的な意味合いもあったんでしょうね。その態勢が重荷に感じたことはなかった?
真由美 夕張の大地で育った2人ですから、それがプレッシャーとか感じないんです。本当にボーッとしていましたから。
奈緒美 芸能界の水がこんなに合わないのかとも思いましたよ。ホームシックも2人が交互にかかっていた状態でしたし。
──代表作は2作目の「好きよキャプテン」(75年)でしたね。放課後の校庭が思い浮かぶような永遠の青春ソングです。
真由美 松本隆さんが歌謡界に進出した最初の頃の作詞ですね。太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」よりも少し早かった。
奈緒美 男性ファンだけでなく、女性の方でも詞に自分を照らし合わせていたと言われることは多いです。
──プライベートでは姉・奈緒美が85年に結婚したことでデュオの活動を休止。以降、3人の子育てに追われた日々が続きました。
奈緒美 はい、下の子を産んだあとにバツイチにはなってしまいましたが‥‥。でも3人の子がいたから頑張ってこれたし、歌うことの意味もあらためてわかった気がします。
真由美 私は残念ながら今も独身のままですが、やはり1人は産んでおくべきだったかなと思いますね。かといって、姉の母親姿を見てもピンとこないところはあるんですが(笑)。
──再結成はデビュー30周年だった05年。そこから10年がたちました。
真由美 ありがたいですね。10年前も古くからのファンの方々に背中を押された形でしたし。
奈緒美 私たちのファンの人たちって、いわゆる親衛隊的なニオイがまったくしないんですよ。硬派な優等生タイプが多くて、困った行動をする人もほとんどいません(笑)。
──暮れに向けて40周年イヤーの締めくくりは、そんな長年のファンに支えられそうですね。