68年2月、暴力団2人をライフル銃で射殺したあと、人質13人をとり、寸又峡温泉に90時間立てこもった金嬉老(41・当時)。テレビでも実況中継されただけに、まだ記憶に残っている方も多いに違いない。
アサヒ芸能はネットワークを駆使して、金嬉老の愛人9人を見つけだし、金と彼女たちの愛欲生活を聞き出すことに成功した。
彼女たちの内訳は、
●凶行前夜、清水市の旅館に同行したバー・ホステス順子さん
●浜松のバーで知り合い、掛川市で飲み屋をやらせた内縁の妻
●色白、小柄、目の大きいステッキガール、みさおちゃん
●浜松のアパートに囲った芸者置屋にいた小菊さん
●元刑事、元市議会議員の娘で、市役所勤務の女性
●金が消防署員の夫の別れ話を調停した市役所市民課の女性
などである。
ハンチングになめし皮のチョッキ、腰に弾帯のついたバンドを締め、腕にはスイス製の金時計、靴はトカゲ、金歯光らせてニーッと笑うことから“キンカラ金”といわれた。チンピラ恫喝はお手のもので、気味の悪いほど老人をいたわり、一方ではスケ(女)をこましていた。そんな金だけにエピソードは事欠かない。
「道で若い衆が派手なケンカをして、いくらとめてもやめないと、酸素ボンベが積んであるそばの塀に火をつけた。どんどん燃え出したので、驚いてケンカやめちゃった」
「中風のお婆さんがおぼつかない足どりで出てくると、すっ飛んでいって『車にのりなよ』って送り迎えすんのよ」
などなど。さて、たいへんな精力絶倫ぶり、いやモテっぷりの金だが、気になるのは愛人との夜の“性活”ぶり。
アサヒ芸能1968年3月10日号では、彼女たちに告白してもらっている。
〈バー「みわく」のホステス・ポン子さんの話。
「バーなんかに飲みにきても、ポケットからこんなに札束だしてヒラヒラさせるのよ。みんな、お金に惚れるんじゃあないの。…あのときに羊の目ェ使うんですって。それで、女の子泣かしたっていうわ」〉
金と清水市のキャバレーで知り合ったという、19歳、青森出身のリンゴ娘・順子さんは、
「あたしを愛してくれたあのヒトの今後を、あたたかく見守ってやりたい」
とまでいったのであるが。
前科も7つばかり重ねていたこの親分、日ごろからカントやヘーゲルの哲学書も読んでいた、という異色の悪党だった。