日本がバブル景気に突入する直前だった84年、いち早くバブリーなアイドルが誕生した。デビューの総予算が40億円という前代未聞のユニット「セイントフォー」で、初代リーダーを務めたのが岩間沙織(51)だった。
──今考えても40億円というのは桁違いのデビュー予算!
岩間 デビュー直後に映画「ザ・オーディション」が封切られて、その制作費も入っています。デビューまでのレッスン費、生活費、衣装だったレオタード代とかも含めて(笑)。
──前後してデビューした「少女隊」も、同じように巨費を投じていたと話題になった。
岩間 彼女たちとはダンスのレッスン場が同じで、よく話はしていました。あっちはオシャレな衣装で、私たちはいつもレオタードなのは不満だったけど、でも踊りやすかったのは事実。
──バック宙や側宙を次々とこなすパフォーマンスも名物でした。
岩間 私は歌手志望じゃなくて女優志望だったのに、まさか、側宙をしながら歌っているなんて、夢にも思いませんでした(笑)。だから4人のメンバーで、自分の居場所を見失ったこともあります。濱田のり子は女の子らしくて華やか、鈴木幸恵は歌がうまい。板谷佑三子はメガネの三枚目キャラに徹している。私はどこで売ったらいいんだろう‥‥そんな迷いがありました。
──結果的に売り出し予算ほどは大成せず、事務所とレコード会社の確執などもあり、わずか3年で解散。その直後、ヌード写真集を出したこともあった。
岩間 今思えば‥‥あそこで出しておいてよかったと感じます。二度とあの当時のきれいな裸の姿に戻れないのなら、それを形に残せてよかったです。
──さて現在は、主宰する劇団プロジェクトを継続しつつ、介護の仕事もやっているとか。
岩間 はい、45歳でホームヘルパー2級の資格を取り、その翌年には第2種運転免許も取得しました。これで介護タクシーの運転手としてスタートできたんです。
──元アイドルが介護タクシー運転手とは対極の転職ですが、実際にはどんな業務内容?
岩間 要介護認定の人を自宅から病院に送るのがメインです。車イスやストレッチャーが乗せられる広いワゴン車で、その運搬も私の役目。最初は依頼された地区の道が全然わからず、友達の車で下調べのために回ったりもしました。女性の運転手はほとんどいないから、家族の方には「頼りない」って目で見られることもありましたよ。
──そして介護ヘルパーも兼ねるとなれば苦労が多そうだ。
岩間 ずっと寝たきりで動けないストレスから、どなる人もいらっしゃいます。私は黙々とオムツの交換もしますし、床ずれの処置もします。訪問介護をやってよかったことは、施設に入っている私の母親の介護に対して気遣いができるようになったことかな。
──ところで、まだ独身のままでしたっけ?
岩間 はい、ずっと気楽な1人。のり子には「合コンでもやってハジけちゃいなよ」と言われたけど、無理する必要はないかなって(笑)。
──結婚観は人それぞれ。