一歩間違えれば死亡事故になりかねなかった。松島トモ子(75)の「ライオン襲撃事件」は、今も強い記憶を植えつけている。
──今年の8月に開設されたブログのタイトルが「ライオンの餌」で、大変な話題となりましたが。
松島 そうなの?
──はい、実に「攻めているタイトル」だと。
松島 あれは親しかった永六輔さんが、私とのトークショーで「今日のスペシャルゲストは『ライオンの餌』です」と紹介したのがきっかけ。最初は「なんてこと言うの!」とステージの袖で立ちすくんでしまったわ。
──確かに「餌」になっていたら、今この世に存在していません(笑)。さて、衝撃をもたらした番組は86年の「TIME21」(日本テレビ系)でした。
松島 日本でも人気があった「野生のエルザ」の著者(ジョイ・アダムソン)のご主人で、ジョージ・アダムソンという人を取材することになったのね。私は子役時代があって、高校はアメリカに留学して卒業したのね。それで通訳ができるということで、レポーターに選ばれたの。
──そして東アフリカのケニア奥地を訪れ、7頭のライオンの餌やりを見ていたわけですが。
松島 人に慣れたメスの子ライオンだったので、本来、危険なことにはならないんです。ところが、正面ではライオンたちがおなかいっぱいで寝ていたけど、後ろからライオンの母親がやって来て‥‥。
──襲われたわけですか。
松島 噛みつかれて、宙に放り投げられて、意識を失ったまま10メートルほど引きずられて。
──当時の記録では全治10日だったはずが、3日後には撮影に戻っています。
松島 最初の事故から10日後に、ジョージの弟子のテントに行って。そしたらヒョウが高い柵を乗り越えて、私の前にうずくまったの。ところが、目が合ったせいでヒョウが私に体当たりして。首をかじられて骨がガリガリッと砕ける音がして、あ、これは死んだ、と思ったの。
──ライオンどころではない大惨事に。
松島 第四頸椎粉砕骨折と診断されたけど、あと1ミリズレていたら間違いなく死んでいたか、首から下に一生マヒが残っていたかもしれなかったって。
──奇跡的ですね。幸い、後遺症も残らなかったようですし。
松島 ただ、恐怖心はなかなか乗り越えられなくて、当時のインタビュー依頼も全て断っていました。
──そして番組は、襲撃場面こそなかったけど、オンエアされたわけですよね。
松島 最初はジョージを扱う番組ということで「ライオン聖人」ってタイトルだったの。ところが、私の事故で「聖人」はまずいだろうという話になり、会見での発言を受けて「それでも私はライオンが好き」に変わっていました(笑)。
──後遺症も残らなかったことで、症例がニューヨークの学会でも発表されたそうですね。
松島 海外、特にアフリカでは反響がすごくて、行くたびに「あの人、ライオンに噛まれたのよ」ってささやかれたわ。税関ではパスポートに「今度はワニに気をつけて」って書かれたこともあったのよ。
──もちろん、日本でも衝撃ニュースでした。
松島 当時、ビートたけしさんと明石家さんまさんがさっそくコントになさったみたいだし。
──ブログでさらに詳細が読めることを楽しみにしています。