サッカー元日本代表の望月重良氏が、鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルにゲスト出演し、自身のサッカー人生を振り返った。
望月氏は1996年に名古屋グランパスに入団し、97年には日本代表に選出。トルシエジャパンの右サイドとして活躍した選手だが、そんな望月氏のサッカー人生で一番聞いてみたいのは、2000年の「事件」だ。サッカーライターが解説する。
「2000年に名古屋に所属していた望月、大岩剛、平野孝の3選手が『チームの和を乱した』として突然解雇されたんです。日本代表経験がある3選手がシーズン途中で解雇されたことに驚きの声が上がったのは言うまでもありません。理由は一切、明らかにされておらず、ジョアン・カルロス監督と3選手の確執が噂されました」
鈴木氏が「ここは触れずにはいられないと思った」と事の真相について聞くと望月氏は、
「よくわからない。本当に。『何があった』という一つの原因じゃなくて『なんだったの?』というのが正直なところ」
と返答。突然、チームから「ここにいても試合に出られないよ」と言われ、練習もチームとは別でやるよう指示があったという。
「僕ら3人が当時、中心選手で目立っていた部分はあるし、周りにいた選手からねたみやひがみがあったかもしれない」
と望月氏。そして解雇の理由をこう分析した。
「99年から山口素弘や呂比須ワグナー、楢崎正剛といった選手を集めて、2000年は優勝を目指してシーズンに臨んだ。でもなかなか勝てず、プロの世界ではありがちだが、成績が悪くなると誰かが責任を取らなければということになる。それがクラブの代表だったり、監督だったりというのが一般的だが、俺らに責任を負わせたというイメージがある。だから、何をやったから和を乱したという説明はクラブからされなかった」
その後、望月氏たちは監督と話し合いの場を持ち、互いの意見をぶつけ合って和解。明日から練習に出ていいという監督の許可を得たという。ところが何と、翌日にはクラブのスタッフから「あの話はなかった」と説明を受けた。
「要はクラブが一度決めたことを変えることができなかったということ」
こうして3人はチームを離れることになったのだ。
「名古屋に残っても試合に出られないのであれば、日本代表からも外されてしまう。だから自分たちのために出ていった。どこかのチームでプレーして日本代表であり続けることが優先だったから…」
とても納得のいく理由ではないが、移籍決断の理由を明かした望月氏。3選手は新天地で活躍したが、一方の名古屋は00年シーズンはリーグ9位、カップや天皇杯も取ることができず残念な結果に終わったのだった。
(鈴木誠)