●ゲスト:オスマン・サンコン(おすまん・さんこん) 1949年、ギニア共和国生まれ。69年、国立コナクリ大学から仏ソルボンヌ大学への留学を経て、72年にギニア外務省に入省。同年、駐日大使館開設のために来日して大使館員として8年間を日本で過ごし、80年、ワシントンの駐米ギニア大使館に転勤。84年に日本アフリカ開発協会事務局長として再来日、同年「笑っていいとも!」(フジテレビ系)のオーディションに参加し、番組レギュラーに。これを機にタレント活動を開始、人気を集める。現在も日本各地で講演会を開くなど、日本とアフリカの友好に貢献している。最近では現役の医師・大竹真一郎とお笑いコンビ「お医者さんコン」を結成、「キングオブコント2019」に挑戦したことも話題となった。
「笑っていいとも!」の変なガイジンタレントとしてお茶の間に登場、「1コン2コン・サンコン!」のギャグで一躍人気者となったオスマン・サンコン氏。来日からテレビ出演の経緯、3人目の奥さんを迎えたモテモテぶりと日本への熱い思いを、盟友・天才テリーに打ち明けた!
サンコン 今日は呼んでもらってうれしいね、テリーさんは僕の昔からの仲間だから。
テリー いえいえ、こちらこそ。そういえばサンコンさん、この前、「お医者さんコン」っていうコンビで「キングオブコント」に挑戦していたでしょう。
サンコン そう、でも2回戦で負けちゃったの。
テリー 70歳になってそういうことをするのが、すごいよね。そもそも、なんで出ることになったの。
サンコン 僕、もともとお笑いが好きで、たまたま知り合いのお医者さん、大竹(真一郎)さんが関西人で、ものすごくノリがいい人だったから、誘ってチャレンジしてみたの。
テリー 今回は残念な結果になっちゃったけど、またチャレンジしてほしいな。ところで、服にいっぱい付いているバッジは何なの?
サンコン 全国を講演会で回っていて、そこでもらったのをつけてる。これで雑誌やテレビに出たら、宣伝になるからね。僕、天皇陛下から旭日双光章を叙勲されているし(バッジを指さしながら)、これは別府、これはギニアの国旗、そして日の丸、オリンピック。
テリー ああ、なるほど。観光大使みたいなものだ。そんなことをしているくらいだから、サンコンさんはそのへんの日本人よりも日本に詳しいんだよね。
サンコン そう、日本大好きだから。
テリー あと、皆さんは知らないだろうから言っておきますけれど、サンコンさんはただのスケベ親父じゃないですからね(笑)、すごいエリートなんだから。ギニアの東大みたいな位置にあるコナクリ大学を卒業したあと、ソルボンヌ大学に入っている。
サンコン フフフ、実は僕の国籍はフランスなの。僕が生まれた頃、まだギニアはフランスの植民地だったからね。
テリー ああ、だからパリに留学したんだ。で、そこからさらにギニアの外務省に入るんだよね。
サンコン そうそう。その時には、まだ日本にはギニアの大使館がなかった。だから72年に大使館を作るため、大使と一緒に日本に初めてやって来たの。
テリー その時のサンコンさんの肩書は?
サンコン 一等書記官。大統領から預かった信任状をお渡しするために昭和天皇にもお会いしたんです。
テリー それって「信任状捧呈式」でしょう。じゃあ東京駅から馬車列で行ったんだ。すごい体験だね!
サンコン そうそう、僕はただついて行って、黙って立っていただけだけど。
テリー そのうえ、平成の天皇(現・上皇)にも叙勲を受けているんだものね。日本人の俺でもしたことがないようなことをサンコンさんは経験しているんだよな、本当に羨ましいよ。悔しいからそのバッジ、ちょうだい。
サンコン アハハハハ、ダメダメ。
テリー だよね、俺がもらったらバチが当たるよ。最初の来日は、どのくらい滞在していたの。
サンコン 8年間かな。まだその頃はテレビも一切出ない、カチカチの外交官。
テリー またまた、どうせスケベだったんでしょう、下半身だってカチカチで。
サンコン だから六本木によくナンパに行ってた。当時モテモテだったから。
テリー ほら~、これだもの(苦笑)。どんなところでモテてたのさ。
サンコン やっぱりディスコ。声をかけると、だいたいうまくいくんだよ。
テリー 外交官だから羽振りもいいし、そりゃ確かにモテるよね。
サンコン そうそう、当時は乃木坂の1軒家に住んでいて、車もあったし。
テリー ナンパした女の子をそこに連れ込んで?
サンコン フフフ、今だから言えるけど、そう。