「日本生命やセ・リーグならどこでもという話は本当にレアなんじゃないかな?」「日本生命行ってたかもってそう言う事初耳ですね」と、ファンも驚く視聴者のコメントがあるように、清原和博氏が1985年のドラフト会議を振り返り、“初耳発言”をした。
清原氏の発言があったのは元プロ野球選手で読売ジャイアンツにも籍を置いていたことのある小田幸平氏のYouTubeチャンネル「はげch.~小田幸平公式チャンネル~」でのこと。2月10日に投稿された『【清原和博】パ・リーグだったら…進路に悩んだドラフト時の心境を語る 清原和博さん×小田幸平スペシャル対談vol.2』での一幕だった。
87年の日本シリーズ第6戦〈西武3-1巨人〉、日本一を確信した9回表の最後の守りで泣いていた清原氏の涙が印象深いと小田氏は振り返り、「西武でよかったですか?」と訊ねた。
「西武に引かれたらどうしようかと悩んでいた。パ・リーグだったら日本生命行こうと思ってたのよ」と社会人野球入りを考えていたと初耳発言する清原氏。日本生命の面接も受けていたそうで、これには旧知の仲の小田氏も「ええッ!キヨさんが面接とかありえへんでしょ」と驚きを隠せずにいた。
「ホンマにセ・リーグに行きたかったから」と、甲子園でプレーしたいとの熱い思いが強かったことを清原氏は明かすと、こうも付け加えた。「桑田(真澄)がジャイアンツ行ってなかったら、オレ、日本生命行ったかもわからんね。けど桑田がジャイアンツに指名されて、あいつがプロ行って、オレが社会人野球?オレもプロ行きたいなと思った」と清原氏は西武ライオンズ入団を決意した本心は、朋友でありライバルでもある桑田氏の存在が大きかったと素直な胸の内を語った。
05年からセ・パ交流戦が開催され、今ではどの球団でも甲子園でプレーできる時代となったが、当時は〈セ・リーグ一択〉だったと明かした清原氏。純粋だった西武ライオンズ入団当時を振り返るその目は、キラキラ輝いて見えた。
(ユーチューブライター・所ひで)