当時、石川は離婚後に世田谷区内に購入した110坪の土地に、鉄筋3階建の「さゆり御殿」を建設して住んでいたが、01年にはあえなく売却。バブル崩壊の余波もあり、不動産価格が大幅に下落している中で苦境に立たされていた。その後、石川は両親とともに賃貸マンションに移り住んだものの、数年で支払いを完了させたという。そして06年に再び5億円豪邸を建設している。不屈の演歌魂と言うしかあるまい。
ベテラン芸能記者が当時を振り返る。
「あの『バブル紳士』はタニマチとかパトロンとも言われましたが、恋愛の相手というよりビジネスパートナーのような関係だったようです。離婚して一人娘をはじめ、家族を抱え、当時建てた豪邸での生活も考えて相談に乗ってもらっていたのではないか。ただ、国民銀行のスキャンダルは大ピンチで、『紅白落選か』とマスコミが書きたてた。焦った石川が芸能界の大物に相談したという情報もあったほどです。結果的に出場できて、産休の1年を除けば、連続出場は今も続いています」
まさに芸能生活における最大の危機。だが、その窮地を乗り越えた石川は文字どおり不死鳥として復活。穏やかな時間ばかりではなく、修羅場をくぐってきたからこその今、ということだろう。
ベテラン芸能記者が解説する。
「彼女は、デビューから屈辱にまみれていた。国民的な人気を誇っていた『中三トリオ』の影で存在が完全に埋もれていました。山口百恵と森昌子は同じホリプロ所属の同期だったし、ひまわりのような3人娘の勢いはすごかった。ところがデビュー4年目の77年、前年発売のアルバム『365日恋もよう』からシングルカットされた『津軽海峡・冬景色』が大ヒットして、人気歌手の仲間入りをしたんです」
まさに起死回生の場所が、演歌というフィールドだったのだ。