71年から88年まで、日活ロマン映画は実に1000本以上も公開された。その歴史を支えたヒロインたちは今、どうしているのか。
主演作が何度も摘発されたことから艶っぽさにおける「女闘士」とも呼ばれたのが田中真理(68)だ。ロシアンクォーターののびやかな肢体は、「ロマンポルノの星」と名づけられて草創期に大きく貢献した。
出演作を巡る裁判は無罪を勝ち取るまで9年もかかったが─、
「その頃には引退しており、結婚して2人の子供もいました。裁判がなかったら、女優人生は違ったものになったかもしれません。ただ、12年にマガジンハウスから当時のフィルムを集めた写真集を出していただきました。あまり長くは活動しなかったのに、うれしかったですね」
元祖・SMの女王と呼ばれたのは谷ナオミ(71)だ。団鬼六原作の「花と蛇」(74年)など、耽美的なヒット作は数多い。79年の引退後は、熊本でスナックを経営していたが、16年4月14日に起きた震度7の熊本地震では被害に見舞われた。谷が振り返る。
「マンションの壁にヒビが入って、部屋に入れないんです。6月10日に修復が終わるまで、2カ月も車の中で生活しました。今はもう部屋も、周りの景色も元どおりになっていますよ」
女優時代、逆さ吊りで水の中に沈められても、泣き言ひとつ漏らさなかった谷らしい復元力と言えるだろう。
その愛らしさからロマン映画界の「聖子ちゃん」と呼ばれた寺島まゆみ(58)は、長女・行平あい佳が16年に公開された「私の奴隷になりなさい 第2章 ご主人様と呼ばせてください」(KADOKAWA)で堂々の主演を飾った。愛娘の成長について寺島は、こう語っている。
「私は、映画を見る時は純粋に作品として見るので、そこに娘が服を脱いだ姿でいるとか、まったく気になりませんでした。城定秀夫監督の演出がすばらしく、娘も私の同じ年の頃とは別人のように色気がありました」
自身もベッドシーンの数々をこなしてきたゆえの温かい評価であった。
さて、谷ナオミの後継者としてSMの女王を拝命したのが小川美那子(57)。先代譲りのハードな撮影とは…。
「水を飲まされて腹がパンパンという設定があったんです。実際にはホースの水は口の横から漏れる仕掛けですけど、監督は『ひたすら空気を飲めば腹は自然と膨れるんだ』と。断ろうと思ったら『谷ナオミさんはやれましたよ』と涼しい顔で言うんです。私、負けず嫌いだから空気を何度も飲んで、おなかをポッコリさせましたよ」
現在は艶っぽい作品を描く小説家として、また舞台女優として活動している。
ロマン映画きっての演技派として評価された志水季里子(64)は、自身を「ピンチヒッター女優」と呼んだ。そのワケとは?
「デビュー作の『ブルーレイン大阪』(83年)は、奥田瑛二さんと中島ゆたかさんのはずが、2人とも降りたので私と、のちに夫となる広瀬昌助さんで」
屈指の名作と呼ばれてい相米慎二監督作品にも、「宮下順子さんが忙しかったので私に役が回ってきたんです」という。
最後は、深夜番組から人気に火がついた水島裕子(57)を。日活での初主演作について、
「当時は、台本に書いてある『果てる』の意味もわからず、現場で監督に聞いたら笑われたこともあります」
16年には20年ぶりのベッドシーンを演じるなど、まだまだ小悪魔的なフェロモンは不変だ。