CMや歌に活躍した岡田奈々だったが、人気を拡大させたのは「アイドル女優」として。青春ドラマの杰作として名高い「俺たちの旅」(75~76年)に、主人公トリオの1人であるオメダの妹・真弓として出演。兄の親友であるカースケ(中村雅俊)に思いを寄せる可憐な女子高生役は評判となった。
兄のオメダを演じた田中健が追想する。
「実際にも女子高生だから、セーラー服にカバンを提げて撮影所に来ていたけど、ずば抜けて可愛かったんだよ。そう、小動物みたいな愛らしさだったね。性格も嫌味なところが1つもなくて、とても好きだった」
同ドラマは主要キャストを変えずに、ほぼ10年置きに新作スペシャルが作られている。奈々もそのたびに顔を出すが、田中は兄妹役として「忘れ得ぬシーン」を挙げた。
「あれは赤坂の迎賓館の前でのロケだった。真弓がカースケにフラれて、本当は悲しいのに、明るく振る舞う。僕の肩を叩いて『じゃあね、お兄ちゃんもがんばって!』と去っていく。あのいじらしいしぐさは今でも鮮明に憶えているよ」
同ドラマの挿入歌として使われた「青春の坂道」(76年3月)は、10万枚を超える代表曲となった。けなげな姿は歌でもドラマでも一貫していたが、突然の悲劇が襲う‥‥。
それは77年7月15日未明のことだった。自宅マンションの窓から暴漢が侵入し、約5時間の“籠城”の末、30針を縫う重傷を負わせて去っていった。社長だった高杉敬二は、事件以上に奈々の毅然とした態度に衝撃を受けた。
「会見を開いて自分できちんと説明すると言ったのは奈々だったから。ナイフを握って、多量の出血があったというようなことも冷静に話していた」
この会見はテレビを通じて筆者も観た。包帯姿も生々しいのに、心の動揺を一分たりとも見せない──あるいは、あの瞬間に岡田奈々は「真空保存」されたのではないかと思えるほど神々しくあった。
近年、時おりバラエティ番組に出演すると、決まって「奇跡の50代」と冠せられるのは、何事にも振り回されない精神力が作用しているのだろう。実際、事件の直後もCMの本数などに影響はなかったと高杉は言う。
「内心は歌が苦手で女優のほうを楽しんでやってはいたけど、ただ、どんな仕事でも音を上げたことは1回もなかった。忙しくても文句を言うようなことも絶対になかったから、CMやドラマの関係者にも評価されたんでしょう」
78年以降は女優に専念し、今も現役でありながら「神秘性」を保つ。木之内みどりとともに在籍した「NAVレコード」は、アイドルが“無垢”のままでいられる唯一のレーベルだったかもしれない──。