女優・南田洋子が世を去ったのは、2009年10月21日。享年76。その晩年は、認知症に苦しみ、アルツハイマー病と闘う様の記憶が生々しい。ある日は、みずからの症状にいら立ち、また、ある日は、童女のようにすこやかな南田洋子が立ち現われ、有名人の「老い」の実相を世に伝えた、最初ではなかったか。
夫・長門裕之とのおしどり夫婦ぶりに彩られた芸能生活だっただけに、その落差と隔たりは、見る者に強烈な印象を残したのである。
テレビに映る南田は、「ミュージックフェア」(フジテレビ系)の司会者であり、テーマ曲とともに、優雅に、そしておっとりとした妻ぶりの南田である。夫の長門も芸能界の重鎮としての風格を備えていたことが今も記憶に新しい。
その2人が、共演を果たし、実生活での結婚のきっかけとなったのが、映画「太陽の季節」。1956(昭和31)年5月公開の日活映画である。原作は、石原慎太郎の芥川賞受賞作「太陽の季節」。その受賞を巡っては社会現象といえるほどの物議を醸し、戦後青春文学の金字塔とでもいうべき作品である。
拳闘(ボクシング)部に所属しながら、酒と女に明け暮れる長門が、ガールハントに成功するのが南田。ツンデレ系のお嬢様だが、やがて、魅かれ合う二人である。
長門の部屋で、サンドバッグを叩きまくる長門の背を思わず抱きしめる南田。ゴングは鳴らされ、一つになるシーンである。南田の胸の膨らみが眩しい。モノクロの映画だが、艶やかな肌と汗を感じる鮮烈なシーンでもある。昭和31年という時代を思えば、大ヒットも、むべなるかなの大胆描写といっていい。しかも、こうした“性愛”が複数回描かれるのである。
そして、夏が終わり、破滅の足音が…。ラスト近くに、大写しになる南田の目線が観る者に突き刺さる。
「もはや『戦後』ではない」と宣言された、昭和31年に放たれた、ひと夏の「生」と「死」のドラマこそ、「太陽の季節」である。
思えば、長門裕之22歳、南田洋子23歳。双方共に、青春を経て、朱夏のとば口である「太陽の季節」の入り口にさしかかっていたのである。
(文中敬称略)