「ドラマ出演の合間にバラエティー番組に出て、ラジオや雑誌にも登場する。このメディアへの登場の多さは10代のアイドル時代にも匹敵するほど。内田にとって当時が第1次ならば、今は『第2次黄金期』でしょう。これは数字上も明らかで、昨年4月からの1年間で、内田が出演したドラマは3本。のちに内田本人が『逃げ出したくなった』と漏らしたほど多忙を極めた92年からの6年間に出演した本数は10本。ドラマ出演を比べても現在のほうがハイペースなのです」(沖氏)
とはいえ、鮮烈さでは第1次黄金期のほうが突出していた。「NIPPONアイドル探偵団94」(宝島社)で、内田を1位に推したアイドル評論家・北川昌弘氏が当時を振り返る。
「90年初頭はアイドル冬の時代でした。そんな中、内田さんはあえてアイドル路線で売り出した。ショートカットの髪型が印象的でしたが、当初はロングヘアでした。オムニバスドラマ『if もしも』(93年、フジ系)の第8話に主演し、作中でバッサリ髪を切ったんです。このイメチェンが奏功して、ここから一気にブレイクを果たしました」
93年のユニチカ水着キャンペーンモデルに抜擢され、日焼けした見事な肢体を披露。浜辺を駆ける際のプリプリのヒップは国宝級の美しさだった。それだけではない。
「当時は歌手活動もしていて、デビュー曲の『TENCAを取ろう!内田の野望』ではオリコン史上初、女性ソロ歌手として初登場1位を記録しています。何より、その後に広末涼子(41)に継承される『短髪+元気少女』という次世代アイドル路線の先鞭をつけたことが大きい。私も『スゲーの出てきた』と唸ったものです」(北川氏)
往時の衝撃に加えて、今年はデビュー30周年とあって、内田はかつての自分と何かと比較されがちだ。3月3日の「徹子の部屋」(テレ朝系)に登場した際も、22歳の時の映像が流れ、心境と環境の変化を語った。確かに、ドラマでは主演よりも脇役が増え、第1次黄金期とは違ってきている。しかし、変わらないものがある。それは内田の輝きをなくさない美貌だ。
「ファッション誌『STORY』(光文社)1月号で、18歳の等身大パネルとツーショットで表紙を飾ったのですが、プロポーションに変化がなくて騒然となりました。肌ツヤなんて現在のほうがキレイなぐらい。無理な糖質制限はしないものの、野菜中心の食生活で節制するなど本人も努力を怠っていないのですが、スキンケアは化粧水と油分の少ないクリームだけ。ツルツル肌は天性のもののようです。実際、内田は若い頃、自身のラジオ番組で『次にヘアヌードになってほしいランキング』で2位になったことを受けて、『すいません。私は毛が生えてないんです。もともと薄いんです』と衝撃の告白をしたことがあります。今もツルツルを維持しているということは‥‥」(芸能ライター)